心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

被害者の逃げたあとの心の変化

○被害者の逃げたあとの心の変化


しばらくセロリのことばかりで、頭がこんがらがってきたので、少し休憩がてらに“ボダ被害者の逃げたあとの心の変化”を記してみよう。

私の場合で語らせていただく。
そして、周囲も同じ様な被害にあったことがありその時の心理変化を照らし合わせ私なりに分かりやすくまとめたものだ。

あくまでも参考程度に。



境界性人格障害から逃げ切ったあとに被害者に訪れる心境変化を、大まかに3種にまとめた。



1、 開放故全能感期

2、 無意識的破壊衝動期(強制的謝罪要求期)

3、 凪



そのまんまだ。
漢字ばかりで読みづらそうだが感情の変化は大体こんなところだろう。
感情は目に見えないけれど、文字化することで、貴方のお役にたてる可能性がより高まるかもしれない。



まず、
1、 開放故全能感期 について。

ボダから距離を置き、見事物理的に離れられた人間が過度に「これからはなんでもできそう!」と無駄に自身を肯定的に過信する事だ。
ちなみに、俺の場合は「この銀河の支配者になる」とか本気で思っていた。今はそんなんより、風呂上がりにスイカバー食べることの方がよっぽど重要です。
個人差はあれど、ポジティブな意識や、クリエイティブな思考になる段階だ。


今まで自己の感情を、ボダがいない場所でも抑圧されていたので、その期間の感情が一気に放出される。

指でギュッと押さえられ水のつまっていたホースが勢いよく、ぶっしゃあああ!となってるとこを想像してほしい。



この期間はボダに洗脳、操作され思うようにできなかった趣味や人間との心の底からの純粋な会話、本当に自分が好きだったことをとことんやってみてほしい。

しばらくは、放心状態で何も考えられない状態が続くかもしれないが、その場合は専門機関を訪ねてもいいかもしれない。

具体的には、

ボダと関わった時間✖2倍の時間(ボダと2年関わりがあったとして、4年以内に自分が自分でないような感覚が拭えないなら貴方の傷は貴方が思っている以上に深刻な場合がある)

がたっても、ボダに会う前の自分を取り戻せない、思い描けないのであれば自浄作用が機能しづらい状態にまで下げられている可能性があるので、恥ずかしがらずに専門家の力を借りれば良い。
大丈夫、先生は絶対に貴方を殴らないから(笑)。

簡単に言うと、ボダに奪われた自我の再形成期、または再確認期間だ。






2、 無意識的破壊衝動期 について。

ボダと関わった時間や積み重ねた思い出を根こそぎ破壊して何もなかったことにしたい、と強く思いそれが常時頭の中から消えない状態。

なかなか、大変な時期だと思う。

感情が不安定になり、フラッシュバックが一番頻繁に起こる期間。

突然涙が止まらなくなったり、物をメチャメチャにしたくなったり、ひたすら怒鳴ったり叫んだりしたくなる人もいる。
一時的にボダに似たような行動をとる人もまれにいるが、その途中でどれほどボダが愚かしいことをしているのか気がつく段階でもある。


1、開放故全能感期で取り戻した自我や、本来の自分の好きだったことすらを破壊したくなる場合もある。


勢いよくホースから放たれた水をボダめがけてぶちまけたくなるはずだ。

人により、ボダに謝罪を要求しなければ公平ではないと感じることもあるであろう時期。
つまり、不条理のつけを取り戻そうと心が躍起になって暴れている状態。
ちなみに、俺は「セロリを微塵切りにしたい」と真剣に怒っていた。そのお陰で玉ねぎを刻むのが上手くなりました。


 

3、 凪

もはや、ボダなど貴方の世界にはいなくなり、何者にも染まることの無い貴方に出会う時期である。
何者にも己の心が破られることはないのだと、全身全霊で感じることのできる期間。(多分死ぬまでずっと感じる)


辺りには結構な水溜まり、人によっては海ができているかもしれないが、ここには小波も波紋すらもない。ただありのままの貴方を移す透明な液体がそこにあるだけだ。
そしてその水溜まりにボダが映ることはない。


上の二つがあったからこその悟りの段階。
特に、2を飛ばしてこの期間はあり得ない。
あるとすれば、怒りの感情を奥深くに沈めきっているか、それ以上に押さえつけることで平静をたもっている状態だ。

その場合は、怒りとそれ以上の感情で噴出しないようにしているため、自分では気がついていないが、相当な負担がかかっている。

もし怒りの感情を抱かなかったのであれば、その方が欠陥&問題である。

 

因みに頭のいい方はお気づきであろうが、
この、
1、2、の過程ははまんまボダだ。


1、はボダでいうところの、飴ちゃん
2、はボダでいうところの、鞭だ。


過度な肯定や賛辞と、攻撃的なまでのこき下ろしを別の形で体現、内側から体感することにより自分自身の細胞に刻み込み、もう二度と被害に合わないためのいわば、“究極の自己防衛システム”なのだ。


この過程を、程度と内容の差こそあれど自分自身で染み込ませたなら、もう二度と被害に会うことはないだろう。



2、の
ボダと関わった時間✖2
と言ったが、この時貴方は無意識的かつ一方的にボダの感情を押し付けられていたはずだ。

つまり貴方は、

・ボダの一方的な感情

・それに対する貴方の感情(主に嫌悪感や不満等ネガティブなもの)

を同時に所有することを強いられている。望まなくとも貴方の心は2倍の負荷がかかってしまっていたはずだ。
だから、2倍という計算にしたがこの間別のボダにたかられていたのなら、3倍の時間で計算してみた方がいいかもしれない。四人ならば✖4といった具合に。
なんにせよ、長期戦であることは変わらない。
関係を持っていた時間の倍以上は時間を要すると思ってくれて構わない。


 

個人的に小学生~中学辺りで保健体育みたいに、人格障害という授業を学ばせてみては?と思う。

目には見えない分野なので、講師には負担がかかるとは思うがそれに特化した分野の者を配属してもいいかもしれない。
その子供の未来や将来、命に関わる問題なのだから。


やはり自衛が一番なのだから。
国策として、取り入れるべきだと割りと真剣に悩んだ時期もあったのだが、そんな倫理に反することは現段階では人類には難しいだろう。

“もしも処分したボダが、まともな人間であったら?”という疑念を完全に払拭できない限りはやはり自衛に限る。
もし、そのシステムが構築されたとして、高性能ボダが進化してその網目を掻い潜らないとも言いきれない。
だから、いつの時代でも自衛が最善だと私は思う。

向こうも進化していたちごっこなのだとしても。