心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

無責任なセロリ

〇無責任なセロリ



私の夢。

目標が当時あった。



そのために忙しくなるし、セロリにかまけていられなくなることを伝えた。
「私はもっと自分の可能性を試したい。自分がどこまでできるか、やってみたい」
と言ったら、セロリはなんて言ったと思いますか?


何も言わなかったんですよ(笑)。
気色悪い顔面で、ニッタニタ笑うだけで。何も。

友達は「お前ならできる!がんばれ!」「ムリムリ(ヾノ・∀・`)ムリムリ、でも、やってみりゃいーんじゃねーのwとにかく楽しめ!w」とか、リアクションは色々でも、必ず何か言ってくれたんですよ。時には手伝おうという人も、時にはもっと努力しなければダメだという叱咤激励も。

それって、言った人本人が言葉に責任を持てるからですよね。

無理だと否定して、無理じゃなかったとしてその言葉の責任は本人が背負う。
できると応援して、できなかったとしてもその言葉の責任は本人が背負う。

セロリは、私がどうなろうが興味がない。

興味がないから、その人の将来なんか予想も想像もしない。
だから、何も言わなかったんだろうな。と。
つまり、自分の発言の責任も負いたくなかったんだろうな。と。
ただ、ニヤニヤしながら黙ってこっちを見ている。
もし実現したらいいコネになるし、失敗すればなじる材料になる。

だから完全に傍観者の立場になりたかったのだろうけど、普通の人間は将来を語られたら何かしら反応を示しますよね。

けど、ボダは常に過去に生きているので、人々との未来を描けないんですよ。
周囲に愛されなかったから、その瞬間に生きているんですよ。

生まれた時に周りが自分に愛を注いでくれなかったから、ずっとその過去にすがっているんですよ。
何の意味もないことを永遠にし続けているんですよ。

だから、未来の話をしてみればいいでしょう。
そこで何も言わなかったり辻褄があわなかったり、見当違いな事をいえばその人は過去に生きていると言っても過言ではないのですから。




そして、セロリに自分の作品をあげたのだけどこれもまた笑える。
普通にお礼は言われたが、そのあとのこの言葉は生涯、永遠、絶対、忘れることはないだろう。

「じゃぁ、うたたねさんが売れたら、この作品をネットで転売して私はぼろもうけですね。オークションで高値が付きますね、とても嬉しいです」
とだけ楽しそうに言っていた。

セロリのために作った作品だったので、何を言っているのかが理解できなかった。

友達にも、何かしら力作をあげることがあったのだが、今までそんなことを言う人は当たり前だがいなかった。
大体は死ぬほど喜んでくれて、私もそれを見て死ぬほどうれしい気持ちになった。


しかしセロリの場合は、あげてから数秒でこの意見が出てくるのだ。

何を考えているのか、冗談だったとしても悪質すぎる。冗談でも言っていいことと悪いことがあり、セロリはそれを完全に踏み越えてきたのだ。
もう完全にもらった瞬間から金の事しか考えてないんだな、とあきれ果てましたね。




別の話題になるが、セロリはしょっちゅう「うたたねさんは繊細なので悩み事をためすぎたり抱え込んだりしてしまうので、何でも話してください。なんでも相談に乗ります」とよく言っていた。

絶対に私はセロリに個人情報を与えない、プライベートな話はしないと心に決めていたので何を言われても揺らぎませんでした。

こういう言葉を毎回言うのって“洗脳”だと私は知っているので、何を言われようが「相談する人なら別にたくさんいるから、セロリの時間を削ってもらわなくても大丈夫だよ」と何回も言っていましたね。丁寧に、穏やかに何回も言いましたね。
それでも次の日には忘れてしまうんですよね。

境界性との上手な付き合い方って何ですかね。

“ここまでって線を引いて関わればいい”とか、“できないことはできないと伝える”ってよく聞きますけど、できないって伝えても次の日には忘れるような生き物と一体どうやって付き合っていけってんですかね。無理だろ。物理的に不可能だろ。そんなもん、うんこに黄金になれって念じながら接し続けるようなもんでしょ。

「いつも親に虐待されたり、職場の人の悪口や、親友に対する怒りや恨みを何十分も一人でずっと話すでしょ?そういう風にストレスを抱えた人間に私の話をしてもあなたの負担になるでしょう。だから、私は貴方に悩み事は絶対に打ち明けないし、他に適切なアドバイスをしてくれる人に話をするようにしているの。だから何度言っても、私がもし仮に抱え込むような人間だったとしても、私が貴方に悩みを打ち明けることは絶対にないよ」
と毎回言うのがいやになるんですよね。

ボケ老人ならともかく。
相手は自分よりも年下の20代。

将来性も何もない人間相手にこの行為を繰り返し続けるのは、かなり堪える。

正直に言うと、精神に異常をきたしていないと不可能だ。
そもそも、私は繊細でもないし、抱え込むタイプでもない。

ストレスたまってきたなぁと思えば、食後に歯を磨く感覚で涙を流すし、繊細な部分も表現に役立っているので大胆な私で補う。

感情のバランスを常にベストの状態で保っているので、ふらつくことがない。
ふらつけば歩けなくなるし、ボダに傷つけられた人達を助けることもできない。
こうして、言葉を綴る事もできない。
だから私は常にベストの状態であり続けることができる。

私は被害者の精神状況に完全に寄り添い、涙や怒りという本音を引き出す誘発剤であり続けるスタンスなので、無論繊細な面も持ち合わせていないといけない。

ただ、それは一面であり私の全面ではないということだね。

その部分だけを表現し続けていたら、私と言う人間が繊細な人間だというレッテルを張られても仕方ないかもしれないけれど、性根はタフで自分の嫌な事は絶対にしない主義で、真に救うべきは誰なのかを絶対に見誤ることなどない精神が根底にあるので“繊細”とセロリに言われ続けることに類まれなる違和感と不快感を抱いていたのよね(笑)。

勝手に決めつけてんじゃねーよ、そういうことを続けんならお前のこと“うんこ”って呼ぶぞ。ってずっと思ってましたね(笑)。

ただ、そのころは、セロリの境界性パーソナリティー障害の部分と上手に付き合っていかなくては、と心から思っていたので、言いませんでしたが、今となっては結果が同じであれば言いたい放題やらかしてやるのもアリだったのかなと(笑)。

被害者の皆さんもちょっと思いませんか?

公衆の面前で化けの皮がはがれたボダを通行人とかが見たらどんな行動を起こすのか。
まぁ、大騒動になるかもしれないからできないけど、ちょっと想像しただけで笑えますよね(笑)。

ちょっとした突然始まるキチガイイベントみたいで、客観的視点で見ることができたなら上質なコメディに代わるかもしれません(笑)。


簡単に言うと、セロリのやってることって新聞勧誘みたいなところありますよね。
何度も断っているけれど、何回もメールや会話の中に“あなたは繊細だから。あなたには私という聞き役が必要だから”と言葉を交えて、徐々に精神が弱った時に“あ、もしかして、私は繊細なのか?それなら少しだけ相談した方がいいのかも・・・”なんてことになったりするのかもですね。

まぁ、私は職場の掃除のおばちゃんに「ちょっとうざい奴いんだけど聞いてくれます?飲みいこうぜぇぇぇ」とか、友達に「メンヘラ情報最新の入手したで。よかったらいっぱいくいっとぱあっといかへん?」ってな感じでわぁぁぁ!ってやってはい、おしまい。ですね。もしくは、一人で2時間くらい川辺を歩いたり、運動しているとどうでもよくなりますね。いかにきれいに腹筋を育てるか想像するだけで首の後ろがゾクゾクしてきていい気分になります。うふふ。次は肩回りの筋肉を育てる予定です。
なので、今の私には洗脳がきかないんですよね。

基本的に、洗脳は“不眠状態”“疲労困憊”であれば容易であり、私は常に日頃から余裕をもって生活をしているから、ボダが付け入る隙がないんですよ。
昔はゆとりがなかったので、セロリにかまけてしまいましたが、今の私なら一瞥をくれもしませんからね。


つまり話をもとに戻しますと、洗脳の手段って結構身近に潜んでいるんですよね。
例えば、何回も朝晩何通ものメールで一年間事実ではない虚偽を吹き込まれてしまうと、コミュニケーション能力が高くない人や、人間関係で慣れていない人、新しい環境で周囲に相談できる人間がいない人などなど・・・はもしかするとグラッと弱っていたときにハマってしまうかもしれないんです。

人間だから絶対に常に良好な状態を維持できるわけもないし、誰にだって不幸は訪れるものだから、そこを虎視眈々と狙い続けるボダは相当悪辣なんですよ。

ましてや、ボダは深夜のメールや電話は当たり前でしょう?

セロリも夜型の生活リズムだったので、12時過ぎてから当たり前のようにメールが来ました。
「あなたは遅く寝て遅く起きる生活でも私はもう寝てるし、朝も早いからやめてね」といってもききゃしませんでしたからね。
むしろ、朝5時にメールをしてきたりでさっぱりわけがわかりませんでしたね。
私はほぼ無視していましたが、これに反応したり朝まで付き合うと慢性的な睡眠不足となり、冷静な判断力や思考力が奪われ、ボダの言いなりとなってしまうのかもしれません。

本来こんな悪質なサブリミナル効果はやってはならないんですが、ボダは当たり前のように使用してきます。

皆さん、貴方の人格に関わることで一度それは違うと否定してそれでも次の日に何食わぬ顔でまた同じことをしてくるやつがいたら、もう二度とその生き物の言うことは聴かないで大丈夫ですよ。

その人がボダかどうかなんて、関係ありません。

しつこく同じことを何度もいう相手は、認識しないでください。

貴方の人格改竄を企んでいる可能性が少なからずありますから、その点だけでなく警戒を怠らない方が良いでしょう。

私は、ごくまれにセロリに似た生き物に遭遇しますが、「うんこがしゃべる時代か。未来は明るいな」と思っています。その後悪臭が漂ったとしても、ファブリーズをしゅしゅしまくって二秒くらいで忘れます。実際にファブリーズって開運のおまじないとして結構いいらしいですね。部屋の空気を換えるって意外といいことらしいですよ。

おかげで、しつこい新聞勧誘にもハッキリと断れるようになりましたしね。

30回くらい「いらない。帰れ」って言っても帰らない猛者がいたので、彼が帰った後本社さんに即お電話をして「キチガイレベルでしつこいダニが来たんですけど、おたくってどういうやり方で調教してるの?“新聞なんか読まなくていいから、契約さえしてくれれば俺に金が入ってその金で俺はパチンコにいけるんだぜぐへへ”って真っ黄色な歯並びで笑ってたんですけど、こういう勧誘スタイルなの?悪趣味の極みじゃないですか?あなた方のやり方なのか、彼のやり方なのかだけが私は知りたいんですけど」って電話したら「すぐにそちらに別のものを向かわせますので」って丁寧に対応していただきましたが「忙しいでしょうから私が自分の足でそちらに向かいますよ。どんな環境でこういうダニがわくのか私も自分の目で見てみたいですから」って言って押し付けられた洗剤とか持って行ったけど、割と普通でしたね。めちゃくちゃ謝られたけど、二度とうちに来ないでくれるならそれほど有難いことはないですよ。と言って終わりましたが、その後一年くらいになるのかな。誰も来ませんね(笑)。
前は隣の年金暮らしのおじいちゃんにもしつこくきていたけれど、あれから全然見ませんね。

隣の人と仲がいいわけじゃないけどおじいちゃんが泣きそうな声で、「もう帰ってください」「古紙回収だって置いておいても全然持って行ってくれないんだもん」「とにかくもう更新はしないし、新聞も読みたくないから頼むから帰ってくれ」っていうのを何十分もやってんだよね。

ちょうどなぜか包丁を三本もっていたから、まだ話すことがあるのならそのまま玄関からでて、「何かお困りですか?」って行くつもりだったんだけど、本当にしつこくてボダに絡まれるタゲみたいで見ていられなかったですわ。まぁ、包丁研いでいる間に新聞の人帰っちゃったんですけどね。しかもこれ結構遅い夜だったから、9時くらいかな、うるさかったんだよね。もう高齢のおじいちゃんでしわしわでいかにも弱者の象徴みたいな人なのに、なんでそういう人にたかんの?いらないって言ってるじゃん。ってすごく思ったんですよね。

少なくともうち周辺にはもうこないので、ありがたいことです。

新聞だったら会社に言えばなんとかなるでしょうが、ボダの場合はボダを飼っている人間がいない事が多いので、無法地帯と化すこともよくある事なんですよね。

いっそこの際、新ビジネスで「ボダを管理する特務機関」とか作れば割とぼろもうけできんじゃねえの。って思いますが、実質は刑務所と変わらないでしょうから維持費の方が高くつくし、何の将来性もないし、精神的にも非生産的で離職率も高そうだし、関係者の自殺率も高まりそうだから、難しいか。

ただ、彼等の扱いに長けた人間がもっと出てきた方が人類全体としてのバランスは保てるんだよなあ。

現状では被害者がひたすら泣き寝入りでしょ。
鬱になったり、トラウマを抱えたり仕事や家族をなくしたり、国を追われたりで関り損でしょ。でも、人間だからどこかで関わらないとっていう人権侵害だって糾弾する人間もいるっちゃいるでしょ。いやまあ、ボダに人権はないんだけどな。
人権って人間にしか与えられないものだと思うんですよ。
でも、ボダって人間の気持ちがわからないからあんなことやそんなことしでかすでしょ。それも好き放題。
人間の気持ちがわかるならば、山や家に引きこもって絶対に出てこない手段を選ぶでしょ。ていうか、それしかないでしょ。

それなのに、のこのこ出てきて自殺者増やしてショウガイダカラーって言うのは、何かおかしくないか?っていうか、何もかもがおかしいと思うんですよ。

障碍者であるならば、そういう村や地区を作り、厳しく管理していかなければならないのではないかと私は思います。

それが人類の責任なんじゃないかなと。

管理する側のメンタルの管理も徹底してね。相当なダメージがあるだろうから、かなり高給になるだろうけど。
ボダが責任を放棄するならば、人類側で責任のある行動を起こしていかないとならないんだと思います。

可愛そうだから、虐待されていたから、ショウガイだからって何しても許されるわけがないんですよ。

痴呆の老人が事件を起こさないために、施設で管理されるのと同じくらい自然なことであって欲しいと私は願います。

被害者がどんどん病んでいくのをただ見ているだけならば、その人ももう人間側ではないのかもしれません。
人を助けたいと思う時には、自分がどうなろうと構わない、そんな事など気にかけていられない何かがあります。
もしも、これを読んでいる人の中でも身近に被害者がいて倒れそうなときは支えてあげてください。

追い詰められていて、もう限界にきているのがわかったら、すぐに助けてあげてください。

手を握るだけでも、ただ抱き締めるだけでも、側にいるだけでも、絶対いい方向にいきます。
何もできないなんてことはない。

ボダと関わったから自業自得だと突き放さずに、本当に純粋にボダに殺されそうな人間が困っていたら迷わず手を差し伸べてください。
周囲の意見に左右されずに、自分で真に助けるべきものを見極めて、命が散ってしまわないようにしてあげてください。

本当に助けるべき人達は、大声で喚き散らして等いません。

本当に死んでいく人はひっそりと誰にも迷惑をかけずにいってしまいます。

もし後悔があるのならば、次の被害者を助けることできっと貴方も報われます。

人間として責任のある行動をしていきましょう。