心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

虐待されていた(らしい)セロリ

〇虐待されていた(らしい)セロリ



初めて会った日に 虐待されていた と唐突に告白してきたセロリ。

今思えば完全にうんこですが、これ、どう思いますか?

本当に虐待されていたなら、死にたいって簡単に出てこないと思うんですよね。

むしろ、あらゆる手段を使っても生き延びたい と思うはずなんですよね。


放置されて食べ物がなかったら飢えて死にます。
激しい折檻が続けば子供はあっけなく死にます。
罵声や怒声を享受していたら鬱となり死にます。


家族ですら自分のことを大事にしてくれなかったのなら自分は一番大切にしなくては と思うはずなんですよね。

1日1日を危機的状況に身を置いて生きてきたなら、命の尊さを知っているはずなので簡単に自殺ゲームなんかできないんですよね。

セロリは父親に暴力を振るわれたと会うたび必ず言っていました。
うつむいてわざと顔をみえないように隠して、床の一点だけを見つめてボソボソと低い声で話し続ける。
何十分もひたすらに。

今なら「うんこ?」って聞き返します。

「なぁ、なんでうんこが人間の言葉話してるんだよ。うんこ共和国では日本語を教えてくれるのかよ?」って聞き返しますが、当時の私はそれは大変だったねと思いました。

まだゴキホイを利用するつもりだったし、悪評をバラまかれたらたまったものではないと考えていたからです。

私自身が酷い環境で育っているのでつい感情移入してしまったせいもあります。
決して甘やかしたりはしていませんが、少なくとも半分冷静に半分共感しながら話をしていました。

でも私は一度も死にたいと思ったことはないし、過去のことで同情を引こうと思ったことはありません。
これからもありません。
ありえません。

それに、本当に虐待されていたからといって
その対象者に優しくしなければならない法律なんかないですよね。

父親がすごく暴力的だったらしくて、ろくにコミュニケーションもとってくれなかったようで、そのせいで私は人間不信になって友達もろくにできなかっただとか。

もう誰も信じられない、姉貴も暴力的だし私は家を出るしかなかったんだとか。この世で一番不幸かもしれない、誰も助けてくれなかっただとか、父親さえ母親と離婚していたならこうはならなかっただとか。

そういう父親が身近にいても成功したり、一生懸命努力している友達もいたので、私は簡単には騙されませんでしたが、悟られぬように半分共感して半分疑いつつ話をしていました。

しょっちゅうあばらが折れたり、血が出るほど殴られていたらしいですが、それなら絶対周囲も気が付くし、多分担任の先生や近所の人間も通報するレベルだと思うんですよね。顔が変形するほど殴られたとかも言っていましたね。

それに、セロリには姉と弟がいたらしいので3対1ならなんとか逃げられたりある程度大きくなれば対策も練れると思うんですよね。

実際私の母親も暴力的でしたが、私が成長するにつれて肉体的暴力は減っていきましたし、そのタイミングがわかるようになったのでなるべく家にいる時間を減らしたりと対策も練れたんですよ。
でも、歯止めが利かなくなってしまったんでしょうね。
セロリの中で“架空のおとぎ話”が、自分でも何を話したか残念な記憶力なので覚えていられないから、大きく大きく話を盛ってしまえって感じでしょうか。
話の内容が重ければ重いほど、同情を引けますからね。

聴く側からすれば、その虐待話は果たして本当なのだろうか。暴力が具体的に生々しく語られれば語られるほど疑問に思えてしまうんですよ。

それを話すだけでも辛いはずだし、セロリは虐待話の時に涙一つ流したことはありませんでした。
感受性の問題と言われればそれまでですが、そんなヘヴィーな話題は無表情では語れないと思うんですよね。

まぁ泣けばいいって問題でもないんだけど(笑)。
特に境界性に対しては、泣こうが喚こうがひたすらスルーが最善なんですが。

少なくとも当時の半信半疑の私でも、セロリの話の内容は違和感満載で、ツッコミたい衝動を膨らませるものばかりだったんですよね。

今まで不幸だったから、これからは貴方が幸せにしてよって遠回しに言われても、何の責任も関連性もないですよね。

むしろ脈絡がなさ過ぎてびっくりしますよね(笑)。
いや、お前の人生に何で俺を絡めてるんだよって(笑)。
かつ丼に卵カラメルみたいなノリで言ってくれちゃってるけど、言われるこっちはドン引きだからね。まさにかつ丼だけに!
それ言ってお前は気持ちいいかもしんねえけど、聴く側は非常識すぎる態度に飽きれてるんだよ。
そして唖然としていると「論破できた、コイツは頭がよくない=奴隷決定」ってなるんですよね。

でもセロリは私が それは違うんじゃない? と何度言っても聴きはしませんでした。

虐待されていたとして、それを何年間も引きずるのはよくないし、生活に支障が出るほどなら専門家に話した方がいいのでは?
私も内心では引きずってしまったから気持ちはわかるけど、周りの人間に相談して時間を奪ったりしたことはないし、むしろ必死に隠そうとしたよ。
私が聴いてそれで少しでも楽になるならそれもいいかって思うけど、毎回同じ話を聴くほど私も仏ではないよ。
と言っても、なぜか次合う時には忘れているんですよね。

あと私が今まであった生物ではセロリ(と私の母親もか(笑))だけなんですが、基本的に私が話終わる前に言葉をかぶせてきました。
私が話そうとすると、マシンガンのように長々と私が発言をやめるまでずっと話していました。

普通発言がかぶったら
「あ」
ってお互いなって
「どうぞ」
「いや、そちらこそどうぞ」
ってなりますよね。
突然始まるドリフのようなアレ(笑)。

けどセロリは何が何でも自分の発言を遮られるのも許しはしなかったし、相手の意見も聴きはしませんでした。
それがずっと毎回そうでしたね。

怒っている時はこちらが折れるまで席を立とうとしないし、声も低くなり攻撃的な口調になっていましたね。
いつ息継ぎをしているのかわからないような早口で、周りの無関係の人間はドン引きでした。

かいている間に思い出したのですが私はカラオケが好きなんですよ。
小学生の時に友達に連れて行ってもらってハマり、それから中学生では別のクラスの友達とも毎日のように行ってたんですよね。

それで高校ではクラスの全員と行ってみたいと思い、陰キャから体育会系、ギャルからヲタクと色んなタイプの人間と言ってたんですよ。楽しいから。
もうテストが終わればカラオケ。休みの日にはカラオケ。おめでたい日にはカラオケ。特に意味もなくカラオケって感じで。
まぁ要は色んな人間とカラオケにいったことがあるというだけなんです。

それでセロリとカラオケに行ったんですけど、セロリは誰もしなかったことをしたんですよ。

私が歌っている時に大体セロリは“足を組んで腕を組んでつまらなさそうにしている”んですよね。

知っている曲ならまだいいけど、知らない曲だと完全に早く終われオーラを出すんですよね。
明らかに何かに対していらだっている人、って感じで話しかけるのにも気を遣うような。

今まで何十人と歌ってきましたが、これをした人間は一人もいなかったんですよ。
今文字にしてみたら、かなり偉そうで正直顔も見たくないですね。そんなうんこがいるだなんて信じられないですね。うんこだから仕方ないですね。

今までの友達に感謝しましたが、セロリってすごいなあと。
普通友達とのカラオケでこういうことします?

でも時々不意打ちのように、ものすごいべた褒めするんですよ。
「うたたねさんの歌は神がかっていて全てを包む慈愛であふれているんですよ!感動です!世界中に聴かせたいです!」
「もう、神業ですよ!そこらの歌手なんか比べ物にならないほど美声です!癒し効果が尋常じゃないんです!」
とか言うのに、その数時間後には
「最後のサビの前のとこ下手でしたね。音はずしましたね」
「息が続いていませんでしたからミスですか?あれくらい私でもできますよ」
とか言うので、 この生き物は狂っている とちょくちょく思っていましたね。

今まで生きてきて友達のカラオケでも職場の二次会でも、ダメだしする人間って一人もいなかったので、もう二度といくかって思いましたね。
基本的にカラオケってその場の雰囲気楽しんだり、知らない歌聴かせたもらったりだから、評価したりけなしたりする人って見たことなかったんですよね。

大人数で行くと苦手な奴もいるけど、それもコミで楽しいっていうか、意外に好きになったりするしね。
だって、一緒にうたったり踊ったりを楽しむ場所でしょ。
タンバリンとかマラカスシャッシャ!でワアアアイ!でしょ?

セロリに対しては、どこのお偉いさんだよって思うし、お金払って歌ってるんだからその分楽しまなきゃ損でしょ(笑)。

セロリが精神不安定なのはその頃からだいぶわかってきてはいたものの、子供みたいにニコニコしていたかと思えば、ずっと足を組んで腕も組んで険しい顔していきなり無言になったり。

カラオケの狭い密室でやられるとこっちの精神が参りそうでしたね。

何かに対して怒っている時は大抵こっちを見ないし、3歳くらいの子供みたいでずっと機嫌がよくなるまで話しかけたりセロリが喜びそうな話題を振り続けなければならないので本当に疲れました。

街を歩いている時に母と子をよく見るのですが、母元から5歳児くらいが走ってどっかに行きそうなのを昨日見たんですよ。

子供がどこかに行きたいみたいで、母親は困っていて何回か注意しても走り出そうとするんですよ。
どこかっていうのがよくわからないみたいで、どこいくの?と聞いても子供は答えずにキッズダッシュするんですよね。子供特有の謎のダッシュあるよね(笑)。かわいいんだけど、危ないから目が離せなくて大変なんだろうなと思いながら見ていたんですよ。

「じゃぁ、もう好きにしなさい。ママはもう帰るからね。聞き分けのない子はもう知りません」
っていえば「やだぁぁぁぁうわわああああ」って泣きわめいてすぐ母親のもとに戻ってくるんですよ。

まさにコレだなと。

セロリの行動はまさにアレでしたね。
子供なら微笑ましいいし、将来性のある一過性のものだろうと安心ゆえに楽観視もでき、甚大な被害にはならないけれど、20も過ぎた大の大人がこれをやっているのだと考えると本当に心底ゾッとしますね。

こういう一つ一つの動きに人間性が出るんですね。うん、この場合はうんこ性ですね(笑)。うん、こういう生き物だから仕方ない。うんこだもの。