心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

セロリと言う名のボダ

〇セロリという名のボダ

実家を出る前後に遭遇したボダについて、長らく解説していくつもりなので、興味のある方はぜひお付き合いください。


まず、ネットでも検索可能であるが境界性人格障害の特徴というものがあるだろう。
被害者の皆もきっと一度はぐぐったりしてみたことがあるはずだ。

このセロリ(仮名)という女もほぼチェック項目に当てはまった。
性的逸脱意外はほぼ当てはまっている。
というのも処女だったのだから仕方ない。

初めてあったのは20歳ほどなので、それでも恋愛体験や付き合った経験が皆無というのはいささささささか不審に感じたが。
いささかではなく、いさささささかと言うのは、とても違和感があった感じだ(笑)。本当に小さな違和感といった感じだろう、ささやかな何かだった。当時は。

何でセロリなのかというと、私が嫌いな野菜だから(笑)。
あとは、口臭がすさまじかったから、このあだ名でいこうと思う。
特に食後はテロレベルだった。死人がでないのが不思議だった。歩くドラキュラ撃退兵器といっても過言ではないほどにニンニク臭かった。


セロリの容姿は

・年齢不詳(初対面の時は20後半~30後半に見えたが実際は20代前半だった)
・髪の毛が汚い(腰くらいまであり明らかにトリートメントしてないもよもよの状態・麻原彰晃ヘアーと俺は呼んでいる)
・歯も汚い(笑うとその茶黄色さがバッチリ見えた)
・顔だちは普通(ほうれい線がすさまじかったが、鼻の高さもまあまあだし目も爬虫類のような攻撃的なギョロ目だったので好きな系統の人は好きかもしれない顔立ち)
・常にゴスロリ(AVに使われていたとか、盗作が多いことで有名な激安ブラントを好んで愛用していた)

こんな感じだろうか。

これだけでも被害者諸君は「目は合わせないでおこう」「近寄りたくねえ」「きめえ」と思ったことでしょう。
直感がものをいう世界ですからね。
魂って目に見えないので、この段階で深入り厳禁と自分に警告できた方はもう二度とボダの被害に合うことはないでしょう。

というか、ボダ被害者でなくても奇妙な雰囲気を感じられるかもしれませんね。

私自身も、文字にしてみて“ちょっとやばいな”と思いました。
中傷するつもりはないのだけど、少し危険な感じがしますよね。
文字化されて客観的に見る事ができると、不衛生な印象が強いですよね。
たったこれだけの文字情報でも、友達に進んでなりたくないタイプですよね。

個人的にボダの初対面での見分け方は 歯が汚い これってかなり需要だと思います。
多分後からも、何度も記事の中で書いていきますが、本質的な意味で自分を大切にできないので歯に出てしまうんでしょうね。

日々の基礎的な積み重ねもできないし、細やかな事も集中力がないので続かないんですよね。

なのでこういう形となって出来するのかもしれません。

ボダは自分が大好きとは言われがちですが、本質的には愛せないんですよね。
疑似的に自分を愛するっていうのはできていても、長い目で見れば自分に厳しくした方が絶対にいいはずですから。

愛とは甘やかす事ばかりではないことを、まるで理解できないですが、自分に対してだけは究極に甘いのが彼等でしょう。

だから、自分で自分を愛するっていう当たり前のことを他人や周囲、タゲに押し付けてきて関係が破綻するんですよ。

どれほど死に物狂いで努力をしようが、見捨てられ不安からタゲに必死にすがりつこうが、どうしても行き詰っちゃうんですよ。
愛を持っている人間から根こそぎ奪おうとするから。

セロリもそれに当てはまっていて、

・異常なまでの見捨てられ不安
・過剰な他人批判
・理想化とこきおろしの二極化
・怒りの不制御
・遠回しな死にたい発言
・初対面での虐待されていたという告白

等、あげればきりがないのだが、主に気分のアップダウンがものすごく顕著だったように思う。
一日の間で、周囲の人間の評価が「あの人は天使のような方です」と言ったかと思えば数時間後には「あの人はダメなところが多すぎる。ストレスになって大変だ。とてもじゃないが耐えられない」など。
会話が飛び飛びになることも多く、会話自体が難航することも多々あった。

見捨てられ不安もかなり大きかったようで、不安にさせないように細心の注意を払っていても、「いつも傍にいて話を聞いてくださってありがとうございます。私を捨てないでいてくれたのはうたたねさんだけです。本当に頭が上がらないです」などと、腰の低すぎるメールを長文でしてきたり、それなのに次の日には注意したことは全部忘れてしまったいるとかね。

「深夜の電話やメールは出られないからやめてね」
と言っても次の日には完全に戻っちゃって、メールも普通にしてくるんですよね。
驚きましたとも。
何度言ってもわからない人間がいるのだなあと。

それでも、私が怒ったり耐えられなくなったり、距離を置こうとすると必死で物を買ってきたりプレゼントをしたりでこちらがとどまるように、逃げないように何通もメールをしてきたり。
それも敬語でみっちりとした必死さが如実にあらわれているもので、とても読む価値があるとは思えないようなものばかり。
とてもではないですけど、対等な関係が構築できる人間性は微塵も所持していなかったですね。

簡単に言えば、人外でした。

異色というか、こんな友達はいらない と絶えず思っていました。

そもそも、色々な要素が重なった末の惰性だったという面もありますが、今の私がこんな人間に遭遇したら可能な限り避けますし、初日でラインはブロックでしょうね。

ちょっとミスしたら何時間もだんまりで口を利かなくなったり、かと思えばいきなり爆笑しだしたり激昂したりと一日の間でこんなに気分が上がり下がりする人間はセロリ以来遭遇してません。
意図的に初期段階で切り離しているからかもしれませんが、あの地獄って体験した人間にしかわからないと思いますけど、かなりの精神的苦痛ですよね。
人間として、感情があるものとして扱ってくれないし、あることないこと吹聴されるし。

シートベルトもなしにジェットコースターに無理やり搭乗させられているような感じですよね。
百害あって一利なし、ですものね。

ネットの作品公開型SNSでセロリが私にコメントしたことがきっかけだったので、私はそもそもなんかいるなあ くらいにしか思っていなかったんですよ。
でもそれからべた褒めされるようになって、信じてなかったしたかがコメントと思っていたのだけど、割としつこかったのと家が近いこと、休みが重なったことで偶然会うことになったのがそもそもの始まりですね。

そして、ここで私がセロリという名のボダに関わる事となってしまった重要な要素があるのです。

母が一度家を出て(自然消滅・気が付いたら家に帰らなくなっていていろんな人の家を泊まり歩いていたり車内放浪してしたらしい)数年実家にはいなかったのですが、ちょうどこのころ帰ってくるようになってしまっていたのですよ。

それもそれでまた長くなってしまうので別の項目でかくつもりなのですが、このせいでかなり自我が薄れてしまったのも原因だと分析しています。

母はいなくなっていた期間が長かかったので、私の心の中で葬式をしていたんですよ。多分中学くらいかな。小学校の高学年の時には、母親はいないものとして生活していましたし、そのころには身の回りのこと(炊事洗濯など)も大体できるようになっていたので、特に気には留めていませんでした。
暴力さえふるわれなければ、それが一番いいと思っていましたから。高校に入るころには完全に顔も忘れているくらいでしたから。

それが突然、家に帰ればリビングで寝てるんですよね。
普通は何か言うと思うんですが、何も言わなかったんですよね。
本当に図々しくも、我が物顔で当たり前のように家に居座るようになったんですよね。
最初は 誰このおばさん と思っていたし、すぐ出ていくでしょ と思っていたのですが今も実家にいるはずです。帰ってないので知りませんが。

そのせいで私は家は好きでしたが、漫画喫茶で昼夜逆転の生活をするようになりました。

顔を合わせたくないし、正直知らない人間が家にいるのが気味が悪かったし。
何も言わずに出ていったのだから、もう二度と帰ってこないと思ってたんですよね。
私から声をかけるべきなのか、それとも今までやってこれたのだから存在自体をないものとして割りきって生活すべきなのか迷いましたね。

なので、規則正しい生活が好きで昼夜逆転なんかしたくもないのに、母が家にいるときは遠くの満喫に避難していました。
そこからじわじわと母も干渉してくるようになり、コミュニケーションがどんどんおかしくなってきたんですよね。
いやだ、ノー、無理だと言っても母はかなりのボダなので、会話が成立しないし、その時はいったん引き下がっても次の日にはもう何事もなかったかのように接してきましたし。イェスと言わせるために。

つまりこの状態では、思っている以上に私はかなり深刻な洗脳状態になっていたのです
例えば、ごはんをつくってもらえなかったのでいまだに私は夕ご飯は食べないのですが、母は食べます。
ファミレスや、買い食いで夜ご飯は食べています。自炊はほぼしないので、外食費用が相当かかっていると思いますね。
それでよく、近くの居酒屋や料理店にいこうというメールや電話がきたのですが、私は過去のこともあったし、突然家にいることも説明もないので絶対嫌だったんですよ。
なのに、何十通も、何十件も電話が来るんですよ。
友達といても、一人でいても。
何回も留守電に変なメッセージが入ってるんですよ。

そのせいで数年かけてですが、私は徐々に母の言う事しか聞けないような人間に洗脳されてしまったのです。
家に入られた段階で私も手を打つべきだったのでしょうが、父もそのことに関して何も言いませんでしたし、姉はどこかに消えた後だったのでもう誰にも相談できなかったし、成す術がありませんでした。私が若すぎたのと、相手がボダすぎたのがあります。

今となっての一番の防止作は、ボダは絶対に家に上げないことですね。

絶対に自分の住居空間に一歩踏み入れさせたら、そこからガンガン浸食してくるのはわかりきっているので。

とまあ長くなりましてすみませんが、こんな感じで思考能力も居場所もなかったのでセロリという名のボダにひっかかってしまったのですね。

今の私ならば、自立して長いですし、幸い職場の人間にも恵まれプライベートも充実してますし、ボダ臭がしたら即回れ右ですので全く被害はありませんね。
清々しいほどにボダなんかとは一切無縁の生活を送れています。

体を鍛えることに重点を置いてるというのもありますが、精神的負担がかなり減ったんですよ。

今ボダらしき人物を見ても、所属しているサークルからもすぐ離脱しますし、その周辺の人間関係を丸ごと切り捨てても何の痛手もないですからね。

昔は友達が減ったり、自分の居場所がなくなるような気がしていたんですけど、全然そんなことなかったんですね。

むしろ、「この人なんか変、なんか気味が悪い」と思いながらその場にいることを選択したのなら、その方がより多くのものを失ってしまいますから。

それなりに大変な事もありましたが、セロリに関してはむしろ感謝しているほどです。
こうしてネタにできるし、もう二度とひっかからない自信をもらえましたからね。

長くなりましたが、セロリはネットのみ高機能ボダだったのだろうと私は解釈しています。

よくきく、
ボダのネットでの文章に

・改行がない
・読みづらい
・句読点がない、もしくは多用しすぎている
・顔文字や記号も多用する

などがあげられていますが、セロリは顔文字の乱用くらいで、文字から異常性を読み取ることは至難の業だったかと。

時代と共にボダも進化していくと思うんですよね。

進化できなかった者は一人きりで消えていくのでしょうが、それに対しても我々被害者側がきっちりと対策や自己防衛システムに力を入れていかなくては、互いにとって最悪の結果になりかねませんからね。

私の場合は最初からセロリはおかしいと初対面の段階で警戒していて、精神的疾患があるのでは?と思って一歩引いた関係でいられたからここまで被害が少なかったし、その後の回復も早かったのだと断言できます。

そもそも、「虐待されていたことの相談をしたい。初めて会った気がしないから。本当に気があい本物の姉さんのようだ」などと言われたので、話を聴くだけの関係にしようと思ったのが一番要素としては大きいですね。

単純に、こちらの個人情報を与えなかったのが、逃げる際に一番キいたのだと思います。本名すら教えていませんし、最寄り駅をしつこく聞きたがっていましたが聞かれるたびに変えていましたね(笑)。そもそも最寄り駅を聴いてくる人間には答えないようにしています。
「最寄り駅?カナダだよ!」とか、「俺の住む場所は貴方の心の中さ」とか言ってはぐらかしています(笑)。
職場の人に「この前アラビアって言ってただろ!(笑)」って突っ込まれましたが、個人情報を与えない権利も貴方にはあるということを、決してお忘れなきように。

セロリに関しては、ネットでは色々とくだらない話をしたりしていましたが、いざあってみるとその纏ったオーラの異常性にただ警戒するしかなかったですからね。

確か初めて会った日は全身真っ黒で、葬式の帰りかなと思ったのを憶えています(笑)。

ボダの事を批判するつもりはないのですが、周りが見放さないように一歩引いた関係で見守るのが治療において欠かせないと言っている方もいますが、逃げてください。

それは、無理なんですよ。

一歩引いた関係ってなんですか。

ボダが求めているものは究極の無償の愛なんですよ。
それは、周りの人間が与えられるものではありません。
私も一歩引いて接し続けていました。

でも、何年たってもセロリがよくなることはありませんでした。

むしろ攻撃性は増したし、感情の不安定さはであった頃とは比較にならないほどでした。

なので、放置や逃走が一番いいと思います。

その方がよっぽどボダのためになります。

一歩引いて線引きをしていても、可能な限り寄り添いつくしても、死ぬときは死にます。

人間であれば誰しもいつかは死ぬのです。

ボダにはわからないかもしれませんが、無理なんですよ。

治るかどうかもわからないのに、根気よく誠実であり続けるなんてこちらが参ってしまいます。

もしくは、意思や感情をはく奪されたままでボダの要求をのみ続ければこちら側が自死に至ります。

きりも際限もないから障害なのです。

30代以降は落ち着くといった意見もありますが、それは自殺してしまったか、擬態のレベルが上がったかのどちらかだと思います。
30も過ぎれば、知恵や経験、どうすれば人間の心の隙に付け込むことができるのかというのがわかっていく高機能性もいるはずです。
なので年齢と共におちつくというのは間違いではないかと思います。

現に私の母は30代を終えてから平然と実家に舞い戻ってきましたし、この時の会話のちぐはぐ具合は私の子供の頃よりよほど悪化していたように思います。
激情を抑えることはしませんでしたが、それをなんとか隠すことは上達した、といった感じですね。
心の底では憎しみや殺意を抱えているというのが、ときおり垣間見えるのですよ。酒が入った時や、二人きりの時などですね。

なので、「いつか、いつかかわる」という希望は捨ててください。

もし抱いていたとしても、それは幻想です。
貴方が抱かなくてもいいことです。
医療関係の方がやるべきことです。

一般人のタゲや、私達普通の人間が背負うべきことではありません。

危険を感じる前にすぐに逃げてください。

罪悪感を抱かないでください。

人格障害であればあるほど、貴方を殺したとしても罪に問われることはありません。

貴方の命を護れるのは貴方しかいません。

誰にも譲らないでください。

どこまでも逃げてください。

地球の裏側にだって貴方の安心できる場所はあります。
さすがに、国外までは追ってこないでしょう(笑)。

セロリの場合もそこまで必死に後を追ってはきませんでしたが、出会ったSNSはいまだに利用しています。
私はもうやめましたが、セロリはもう何年にもなるというのに続けていますね。

真意はわかりかねますが、大方新たなタゲの探し場所なのではないかと思っています。
他の人間と交流している様子もないので、私を待ってる可能性もありますが、私はもう二度とあのSNSを利用することはありませんね。

しばらくはこのセロリのことで記事がいっぱいになるかとは思いますが、わかりやすく対処法や被害者に寄り添ってその視点から必要な言葉を書き続けていく予定ですのでよろしくお願いします。