心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

被害者は理解されづらい

○被害者は理解されづらい


ボダを攻撃したいわけではないが、被害者の痛みの軽減には、ボダをネタにしたり鋭く切り込んだり、罵倒しなくてはならない時もある。

なぜなら、ボダのやり口は表面化しづらいからだ。

水面下で、とても巧妙にタゲをしぼり一方的な洗脳や虐待を繰り広げる。

タゲが、勇気をもって誰かに相談しても、時すでに遅し、それすらも予測され先回りされていることも多々あるからだ。

真剣に被害を訴えたり、相談しても「あの人に限ってそんなことはありえない」「貴方にも非があるのでは?」という、頓珍漢な返答が帰ってくる場合も沢山あるだろう。


だからこそ、事実を広めていかなければならないし、可能な限り被害者の気持ちに寄り添って、矛盾を指摘できる心理状態に持っていかなければならない。

そのためには、「いくらなんでもいいすぎでは?」と思われることも重々承知だ。
だが、このくらいぶっとんだり頑固なまでの精神力でなければまた同じことの繰り返しだろう。
根本的解決にいたるまでの、ショック療法のようなものかもしれない。


被害者に真に必要なのは、ボダへの怒りを噴出するきっかけの言葉だろう。
もしくは、腹の底から笑い飛ばす言葉もありだろう。

勿論身近な人間も助けにはなるだろうが、被害深度により誰のことも信じられない状態にまで落とされている被害者も少なくないはずだ。

だから私は、ときおり過剰かな?と思えるほどにボダを非難したり断言する。
そうでもしなければ、とてもではないが被害者の心の傷は癒えない事を知っているからだ。

そもそも、ボダの本質を指摘するだけでもかなり悪質なことは解っているのだが、それ以上に被害者の気持ちに寄り添うにはこの方法しかないと体験しているからでもある。

時に、この一面のみを見られて誤解されることがあったとして、それでも被害者の傷が少しでも小さくなればそれに越したことはない。
私にとってそれ以上の幸せはないのだ。


一人でも多くの被害者の心の重りを軽くできることを願い、今日もいきます(笑)