心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

ボダが生まれるメカニズム

○ボダが生まれるメカニズム


これはあくまでも私見であり、私分析なのでお暇なときにでも見て欲しい。


被害者諸君は、なぜこんな化け物が野放しになっているのか?
考えた事はないだろうか?

私はある。

答えは簡単。

生まれてしまうからだ。

生まれると言えど、後々ボダとして確定してゆくといった方がいいかもしれない。
液体が個体になるようなイメージかもしれない。

毒液を凍らせても、毒の塊ができるだけだが。


私の母は境界性チェックにほぼ当てはまる。

知人の元プロの医者に見てもらったことがあるが、匙を投げた。
と言うか、今のうたたねさんなら関わらないのが一番だと言われた。
何年も前の話だから、当時の私なら不干渉が最適解だったので、その人の出した答えも頷ける。
ただ、物理的な攻撃力は老化と共に衰えるから安心して欲しい、とも言われた。

ここで、心理的暴力については触れなかったのはさすがプロというべきか(笑)。

ともかく、もう引退してしまったがその先生の言葉に救われたのだ。
資格もあったし、何よりもボダに対する知識もあった。色々な人間を見てきたそうで、あえてよかった人の一人だ。今でも感謝している。
薬も使用せず、対話療法だけで、私の母に対する恐怖感を消し去ってくれたので本気でプロだと思ったし、純粋にかっこいいと思った。

母を変えることはできない。と、先生は言っていた。
母の性格を変えることはできない、と。

その通りで、私が強く変わっていくのが何よりの最重要事項だった。
もしかすると、老人になって弱りきったときに反省して改心するかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。
なら、自分が変わった方が確実だということは当時の私にもよく理解できた。

だから今の私がある。

相手を変えるよりも自分を変えるしかない。

ボダに洗脳されているのなら、洗脳されない自分へ。
ボダと共依存に陥っているのなら、自立した自分へ。
ボダに付きまとわれているのなら、断固拒絶できる自分へ。


おそらく、母の母も父も何らかの精神疾患を抱えていたのだろう。
これが、俗に言う世に溢れている負の連鎖だ。

だが、少し待って欲しい。
ならば、私はどうだろうか。
あの母の子だ。
大丈夫だろうか。

と、母と接触しているときは不安に思った時期があった。

先生に聴いたら、案外あっさり、大丈夫だと言われた。
うたたねさんが、精神疾患を抱えることはこれから先もないだろうと。
安心した顔で言っていた。
芸術として、表現することができるので大丈夫だと。
趣味に助けられたなぁと思った瞬間だが、よくよく考えてみれば母に趣味らしい趣味はなかった。

人と比べること
人より高い地位にいくこと
人より豊かであること
人を蹴落とすこと
人より高得点をとること


くらいだろうか。

私は一人でも多人数でもできる趣味なのでとても安心らしい。そもそも、蹴落とすようなものを趣味にしたくないしね(笑)

母はマラソンやノルマのあるマルチなど、数字で勝者が決まることを好んでいた。


私の本質もそうなのではないか、と怯えたときがあったのだ。
だが、先生の言葉通り全くの取り越し苦労だった。
なぜなら、オーディエンスがいなくても、私はその趣味を大切にし続けるからだ。

観客が居なければ踊れないのはダンサーではない。
踊らなければ死んでしまうからダンサーなのだ。

絵描きは何のために絵を描くのだろう。
衝動や情熱が絵の具のように溢れだして止まらないからその一瞬を絵画と言う奇跡に込めるのだろう。

音楽家は、何を思い楽譜に託すのか。
心が音となり溢れて溢れて少しでも捕まえておきたいから、消してしまわぬように音符に残して奏でるのでしょう。


つまり、母は誉められるために全ての行為をしているのだ。
私には理解できないし、私が私を認めているのでそんなものは重荷でしかない。
誉められるためではなく、私がそれをしたいからだ。

認められるためではなく、私がそれをしなければ落ち着かないからだ。

それが、大きな差なのではないだろか。
地位や名誉など必要ない。
私は私がやるべきことをする。
私はそう思って行動できるが母はできない。
常に打算と、利益のみで動く。あとは、拍手の数か。

だから私は私らしくいられるのだ。
もう怯えることもない。

だが、ならばなぜ境界性人格障害は生まれるのだろうか。

つまり、
遺伝子を持ったものが更に環境によりまるで選定されるかのように境界性へと進化を遂げるのではないか。

私には姉がいる。

先生に姉を会わせたことがないので正しくはわからないが、私の予測では
自己愛なのではないかと思っている。

この辺の線引きは非常に難しいが、
・取り巻きを作るものがボダ
・作らないものが自己愛

と、私は大体定義している。
つくれないボダもいるので、なんとも言えないが(笑)。
というか、被害者からすれば、ゴキブリの羽が茶色かろうが、触覚が長かろうがそんなことは永遠にどうでも良いのだ。
大事なのは、姉は暴力的で支配的、人として異常なほど致命的な二面性という欠陥をもっている と言う点だ。

だが、私は暴力的でもないし支配もしない。

この差はなんだろうか。

同じ母から生まれ、同じ家で育ち、同じように生きてきたはずなのに。


おそらく、友達だと思う。

私は無意識的に

この家はだめだ

と感じていたため同じ環境にあっても、

この家には愛がない。
なら、私は愛を与える人になろう。
愛を持つ人になろう。
そのためなら、多少傷ついても厭わない。
厳しくとも、正しい方へ導いてくれる人を探そう。

と、思った。

だが、姉は

この家には愛がない。
だから、私に愛をくれる人を探そう。
傷ついてボロボロになった可哀想な私に愛を注ぎ続けてくれる人を探そう。

となったのではないか。

実際に十代の頃の姉は出会い系や、二又サンマタは当たり前だった。
私はそんなこと人間がすべきことではないと思ったし、これからもしないだろう。
姉は男友達の方が多かったし、兄が欲しいとのたまっていた。
男を前にして別人のようになったし、話し方も笑い方も変わるのでまるで化け物だった。
家での姉を知れば皆長くは続かなかったが。
私はどちらかと言えば、同性の友達が多かった。
そして、実際に
これはだめなことだよ!
と、注意してくれる友達が多かった。

姉は、ノーを言わない弱気な友達ばかりを連れてきた。いかにも友達がいなさそうな陰キャや、育ちがよく性善説を根っこから信じているようなお人好しだ。自分の意思がなく、ハイやイイエが言えないようなはんぺんみたいな友達ばかりで、当時の私からすればおでん君みたいなイメージだった。おでんフレンズ。ふにゃふにゃの昆布みたいな。
こうして、取り巻きのような何かで自分を保っていたのだろう。

つまり、境界性人格障害

・遺伝子+若い頃の環境

で、産み出されるのではないだろうか。


私も友達に恵まれなければ姉のようになっていたかもしれないので、こんな仮説を叩き出している立場でもないのだが。

私が普通に生活できているのは

・私はそもそも母のボダ遺伝子を継いでいない
・その後の環境も他者と協調できるものに恵まれた

ということなのだろうな、と今のところは私の人生を分析してみて思う。


あくまでも、仮説なので、考え方のひとつとしていかがでしょうか(笑)




ちなみに、姉の話になるが小学生の頃から男の子とばかり遊んでいた。
思えばこの頃から寄生先を選定していたのだろう。
うちにくる女の子は病弱か陰キャばかりだった。

そして、高校生の後半になる頃にはH君という彼氏を連れ込むようになった。それもほぼ毎日。
大学受験だというのに、ほぼ毎日性交為をしていたのだろう。
彼氏のHさんに自宅で何度も遭遇したが、彼は一言も言葉を発っさなかった。
「おじゃまします」も、「いつもお世話になってます、心ばかりですがお土産です」も、一度も聴いたことがない。
手土産を持って、家に上がるものだとばかり思っていた私は衝撃を受けた。

中々偏差値の高い高校だったし姉はそれをバカの一つ覚えのように自慢していた。
「これだから偏差値の低いやつは」も私を意味もなく蔑むときによく口にしていた。この時点で数字に異様にこだわっていたが、卒業時には学校でも中々ない低いほどの専門へと入学した。まぁ、進学できただけ良かったのかもしれない。

母が後々、姉のいない場所で酒が入っているときに「あの高校からあんな低いとこに進学するなんて恥さらしも良いとこだ。金をかけた意味がなかった」と言われたので、知ったことなのだが。

受験の大事な時期に勉強もせずひたすら腰を振りまくっていたのだ。

むしろ奇跡である。

家に帰ったとたんリビングでH君に腕枕をされ、韓流恋愛映画を死んだ魚のような目で見ていた姉を見た瞬間に私は
「ただいってきます」を覚えた。
ただいまと言いかけて、行ってきますに切り替える謎の技だ。
しかも二人は怖いほど無表情だった。
普通は「あ、すみません!お邪魔してます!」や「あら、帰ったの?いやん!見ちゃダメエッチ!」とかだろうが、何の挨拶もないのは最後まで変わらなかった。

姉は深夜にH君に対しよく電話で一方的に口汚い言葉で罵っていた。本当に小声だが、耳を済ませば電話越しからH君の泣き声が聞こえてきたりもしたが、私は姉の声が聞こえない場所へ避難するのが日課だった。
その時に面白かったのが、散々「くたばれ」「あたしのストレスふやすんじゃねえよ、あたしの気持ちがわかんねえのくそったれが」「ぶっ殺すぞこのくそやろう」と罵詈雑言を浴びせたあとは決まって
「H君、ただの友達に戻ろう」と、猫なで声になるのだ。

最終兵器彼女という、名作漫画があるのだが、その台詞を気に入ったらしく電話の終わりに頻繁に多用していた。本当はもっと長いのだが、その漫画から書き写した紙が姉の机に散乱していた。泣きながらあの台詞を言っていたので、DV 男の典型のようでどうせまた繰り返すと私は知っていた。

漫画の台詞より日本国憲法でも暗記しろよ。と呆れていたのを覚えている。
作品のイメージを汚すなとは言わないが、他者の言葉を流用しなければ自分の気持ちを言葉にすることすらできないのだろう。

人格障害はいつだって、破壊することはできても産み出すことは何一つできやしない。

ここまでお読みの諸君は、よくお分かりだろう。

一週間もせずにまた同じ内容の電話を繰り返すのだ。

友達に戻ったんじゃないのかよ。随分お手頃な関係ですね。と、内心では嘲笑していた。
だが、かけられるHさんはたまったものではないだろう。何十分も罵声怒声が続いたかと思えば、最後は毎度の借り物の台詞で閉められる。しかも、泣きながら。
一度の電話で、激昂して号泣することなど現実にありうるだろうか?

人格障害ならばありうるのだ。

この頃、同時進行でM君という男子も家に連れ込んでいたが、姉は何の罪悪感も感じていなかった。むしろ、時間がないんだから恋愛の同時進行はとても画期的で賢いとまで、ほざいていた。そして、賢い人は皆やってる、とも。私は姉に殺意を抱いた。

私は、「今日はM君の日か、じゃ次はH君かな」といった具合に一定の距離をおいてみていた。注意したところで暴力により解決しようとするのは目に見えてるし、こんな女にかかわりたくないというのが本音だった。

結局、卒業とほぼ同時に姉はHでもMでもない男の家に住み着くようになり、家にはいなくなった。
これほどの幸せと平穏はなかったので第三の男の存在に感謝した。
勿論その男からも追い出されるのは一年もかからなかったが。

そして、数年後一人暮らししている私に深夜突然メールをしてきて、お前の家に泊めろと言い出した。
私は映画を見ていたし、今までの暴力や支配を思いだし、「深夜だしアパートの大屋さんが契約者以外は泊めるなって言ってるから」とだけ返事をして映画の続きを楽しんだ。
私のハムスターのクッションをカッターで八つ裂きにした姉を何で泊めないといけないなかわからなかったので、そのまま路頭での垂れ死んでも映画の続きの方が大事だった。

しかも、八つ裂きにしたのが子供の頃なら良い。10代後半に起こった出来事なのだ。
姉は専門に行く前辺りにこの事件を起こした。
これから社会に出る準備をする段階の年齢の人間がそんなんでいいのか?と私は心底失望した。
5歳や6歳の子供ならばまだしも、人格形成の最終段階が人の私物をカッターで八つ裂きなのだ。

姉は、私の世界ではそろそろ十回忌を迎える存在である。
実際はまだ生きていて、結婚式が近いらしいが出るはずもないし、どうなろうと何の関係もない。

話を泊めてくれメールに戻しそう。
おそらく、寄生先の男に追い出されたのは、もうわかっていた。
それにしても、深夜なのに“遅くにごめんね”などの一言もない一方的なメールだったので何年たっても人格障害人格障害なのだと痛感した。

その数ヶ月あとに、また別の寄生先ができたのか
「ご飯おごるからショッピングモール来なよ!彼氏も紹介したいし!」と言ってきた。
たまたま、休みの日だったし別の用事もあったのでいったのだが、いざ合流すればまた挨拶のない男だったし、ずっと姉の腰に手を回してベタベタと触りまくっていた。
「来る途中の車の中で~マック食べてきちゃったもんね~どうする~?」と姉が彼氏に聞いていて、何がしたかったんだこいつはと思ったが私も大人なので、ではお二人で楽しんでください。と、帰ろうとしたが、アイスおごってやるよ、と言ってとりあえずアイスおごってもらいましたが、良い年して自慢がしたいがために嘘までついて呼び出して本当に成長のない女だな、と痛感した。

人格障害が一生変わらない、ということを身を持って証明してくれた有り難い例である。


姉の場合は、ボダ&自己愛なのかもしれないが、全ての人格障害の要素が含まれている最終形体がボダなのかもしれないとも思うのだ。


ボダはこうして生まれるのかもしれない

という私の分析、略して私分でした。