心のとげぬき。

境界性人格障害者の被害者のトラウマを減らしたいがためだけにブログをはじめてみました。

異常なほど誉めちぎるセロリ

○異常なほど誉めちぎるセロリ



最初にSNSで、声をかけてきたのはセロリだった。


私の方がセロリに抱いていた感情は「なんか気持ち悪いのがいるな」程度だった。
その頃はボダや、人格障害に詳しくもなかったので、その他大勢という認識で次の日には忘れるくらいの存在だった。


だが、セロリの方からガイキチなのかと思うほどの誉め言葉をコメントしてきて、それでどうしてこんなに腰が低いのだろうと思って私も接し始めたのがきっかけだったように思う。
絶対に私から接触したわけではないことは断言できる。


具体的には
「うたたねさまは今日もとてもすばらしいスキルとセンスで、作品を見ているだけでも華やかでとても幸せです。人格が出ておられて、まさにプロ顔負けのレベルですね」「私が低クオで申し訳ないですが、うたたねさまの作品はとても参考になりますのでこれからもぜひ仲良くしていただけますと幸いです。うたたねさまは、私の知らない作品や世界を知っていますので、本当に素晴らしいお方だと心より尊敬しています」
などなど(笑)

書いているだけで、ニヤニヤが止まりませんね(笑)

タゲならよくわかると思いますが、最初こんなこと言われませんでしたか?

お陰で今では
“過剰にへりくだる輩は相手にしない”スタンスでいられるのでありがたいです。

この時点で、“対等な付き合い”はできない、と暗に表現してくれているんですよね。

ですので、境界性を知らない皆さんも、異常なほど誉めちぎる人や、過剰にへりくだる輩は少し警戒してみてください。
焦って距離を積めてくる相手は、タゲを焦って漁っているボダの可能性もありますから、ゆっくりいきましょう。

友達がいなくて、何が不安になりましょうか。
寂しいからとボダを引き寄せては、時間も精神もお金も無駄になりますよ。
ボダにそばにいてほしい、誰もいないよりましだと思うよりかは、一人でいた方がましだと考えてください。

最初の段階で、へりくだっている段階で警戒してください。
普通の人間は、対等な立場で入るはずです。
ゴキブリは最初一匹見つけた時点で、確実に叩き潰しそのあと煙やホウ酸団子などで徹底的に対処しなくてはなりません。
ボダに対しても、最初の対応が大事です。

ダメンズウォーカーの件で少し思い出したのだが、昔利用していたSNSにとびきり美人な女性がいて、セロリとよく接触している人物がいた。
それについて少し思うところがありましたので。
セロリの異常な点を書き記しておこうかと。

美人な女性がどこにすんでいるかや、良く行くお店も私が聞いてもいないのに語り出すので、好きに話させておいたのですが、ときおりボロクソにいっては、女神のようで聖女のようでとても素晴らしい方!と、評価が上がったり下がったりすることが、一日の間に良くあった。
今の私の健全な周囲との関係では、短時間で同じ人物を蔑み罵ったあとに、誉めちぎる人などいないのだが、セロリは会うたび毎回こうだった。
その誰もが認める美人な女性は、私は関わりはなかったが顔がきれいだったし周りに自慢したくなるほど美形な友達がいるってのは、純粋に嬉しいよね。と、思うときもあった。
実際にお会いしたことがないので、何とも言えないが、セロリの上がり下がりする話を聞けば聞くほど美人である以外に価値はない、美人だから付き合ってやってるがメンタルが不安定で、愚痴が多く付き合いきれない。ただのヤンデレババア。みそじごえの、顔だけアバズレとか、ここにかけないようなことも堂々といってのけていた。

私はあったことがない人だし、顔だけしかわからないので聞き流したり「それは違うんじゃない?顔に性格ってでるよ。それに、いいところがあるから関わってるんでしょ?何かしらいいところはいっぱいあるはずだよ」となだめていた。
「でも、薬やってる」とか言い出して、さすがに私も“もうセロリと関わりたくない”と思い、どういうことかと聞けば「精神不安定だから、医者に通っててやくづけなんですよ。たまに、ヒステリーなのか私に当たり散らすんです」と、泣き顔でめそめそしながら言っていた。
その美人な女性と、コメントで二三程度でしか関与のない私は何とも言えない気持ちになった。
元より、誰とも深く関わるつもりもないのでコメントのみのつながりにしたかったのに、セロリは毎回美人な女性がどれ程病んでいるかを力説してきた。

一日の間に、マシンガンのようにまくしたてて論破しようと必死だったり、かと思えば何十分もうつむき地面を凝視して黙ってしまったり。
そんな不安定なセロリの言い分が正しいとは思えず、美人な女性を蔑みたいがための嘘なのでは?と思っていた。
そもそも、その話が事実だとして、なぜ私に語り出すのか?
他の人の個人情報流すのはやめよう、聞きたくないよ。
と言っても何十分もどや顔で話続けるのだ。

そして、その女性に対しても「あのばばあはダメンズウォーカーだから病んでも仕方ない」と、のたまっていた。
おそらく、恋人がいない=人生 のセロリにとって、恋人がいる人間は皆ダメンズウォーカーなんだろうなと。
嫉妬なのか羨ましいのかわからないが、その美人な女性がダメンズウォーカーだったとは私は思わない。

そうだったとしても無関係の第三者が横から口を出す権利なんかない。
三角関係など複雑な状態なら仕方がないが、ダメンズウォーカーと言い切ってしまうことで、彼氏さんも、美人な女性のことも同時に見下しているのだから、その両方から避けられても仕方ない事をしていると思う。

色んな人がいるのだから、そっとしておいてあげればいいんじゃないのかな。と、当時は心底思いましたね。


セロリは本当に裏表が激しく、おそらく、この美人な女性の前では完全に演じきっているか、又は、この美人な女性が本当に優しいか、だと思う。
セロリの本性をわかっていて関わっているのだとしたら、本当に聖女なのだと思う。
裏では、ヤクチュウヤンデレババアとセロリに罵られていても、知らなければそれで幸せなのだから。
美人な女性の方がセロリより歳上だったらしく(セロリ情報なので虚偽の可能性もあるが)、それもあって、ババア呼ばわりがひどかったですね。
彼氏もメンタル弱くてヘロヘロのもやしだとか、軟弱でとっとと別れろとか暴言の嵐。
今も美人な女性がその男性と続いているかは分からないが、誰といても幸せでいてくれればそれでいいんじゃない?と思う。
セロリはなぜしきりに別れさせたがるのだろうか。
本当に意味がわからない。
だから、この美人な女性のことを罵るセロリを良く見ていた私は、セロリといる間に彼氏の話はしないようにしようと決心できた。
ので、「腹ヤバイから、痩せろ~てっ言われた~へこみん(笑)」しか言わないでいられたが、お人好しやゆるいこなどは個人情報を自ら話してしまうのかもしれない。


余談にはなるが、私はディズニーリゾートや富士急、USJが大好きだ。楽しいし刺激的だし、友達と歩き回れるから。
昔それとなくセロリに「シーとランドどっちが好き?」といったら、はぐらかされて「いいですよね~夢の国」といわれたのを思い出した。

些細なことだが、とても重要なことだと思うので記しておく。
「いったことある?」ときけば、「しょっちゅういってましたよ」とか帰ってきたので、ディズニーリゾート好きな私としては少し嬉しい気持ちになった。

「どんなとこがいいと思う?」ときけば、うやむやな答えばかり。
「夢を売っているところですかね」「のりものとかいいですよね」「パレードとかダンサーとか」

ここで、本当に好きな人ならピント来るだろう。

夢を売っているという、意地汚い言い方をするディズニー愛好家はまずいない。
夢は金では買えないからだ。

そして、乗り物も具体的には「やっぱ、ビックサンダーっしょ?」とか、「いや、やっぱタワテラだろ」みたいな感じだろう。

ちなみに、年パスの友達は、「今年のヴィラワはイケメン揃いだった」とか「去年と同じスキャターちゃんだといいなぁ」とかいうレベルで私も何をいっているのかわからないことが良くあるが、でも去年のスキャターちゃんまぢかわいかったよね。めがねっこに惚れたのは人生であれが始めてだ(笑)

このくらい詳しくなる必要なんかないけれど、セロリののらりくらりとした適当な返事で、「まさか知ったかぶりしてるんじゃないか?」と、不気味に思ったのだ。

「最後にいったのいつ?」ランドにゴンドラがあった時代かもしれないし、念のため聞いてみれば「修学旅行ですね」と言っていたので、やはりか、と思ったのを覚えている。

つまりここが一番重要なのだが、

“一日一緒にいたいと思ってくれる仲間がいない”

ということだ。

年パサーだとあえて一人でいき、シングルライダーを楽しむ。ということもするだろうが、そういう人は大抵園内で年パサー同士で待ち合わせだったり、何だかんだ友達はいるものだ。
庭みたいなものなので、毎週いくから、園内うろうろしてれば誰かしらに遭遇するらしい(笑)つよすぎだろ、でも私もいつかやってみたい(笑)


修学旅行なら、嫌なやつとも一緒に行動しなければならないし、よほどのことがない限りはハブられることもないだろう。
実際に校内で浮いていた子は、そういう同士でつるんでいたか、休んでいたかだった。
私のクラスは皆頭がよかったのでそんなめんどくさいこともなかったのだが、他クラスで楽しくなさそうにしている人がいたら、寒そうだなと思ったくらいだ。

つまり、セロリは義務行動でしか、遊園地も行ったことがないような生き物だったのだ。

普通友達ができたら、いろんなとこいったり、自然に大人数でパーっとしにいくもんだと思ってたので、私はひどく驚いた。大人になった今でも、職場の人と少人数でも大人数でもいくことがあるので、未だに学校以外で行ったことがないような生き物とは遭遇したことがない。
本当に驚いた。
首都圏で電車一本で行ける範囲にすんでる子達は皆軽いノリでいくものだとばかり思っていた。何時間もかかるなら、別の遊び場でたむろするだろうが、そもそもセロリが相棒と呼んでいる親友以外に交遊関係をある話をしたことがなかった。SNSのオフ会しか、私は聞いたことがなかった。
高校や大学だと、色んな範囲から生徒が集うけど、今振り替えれば、プライベートでいったことない生き物はセロリくらいだったなあ。

小学生の時に友達が、卒業祝にいこうよ!皆の通過儀礼だよ(笑)一日の予定組むよ~!苦手な乗り物ある?って感じでそれからわりと、バンバンいっていたので、普通だと思っていた。父親に頼んでおこづかいもらってネチネチ言われながらも、楽しい時間を友達と過ごしたよなあと。
中学でも高校でも、ディズニーリゾート好きというよりかは、皆でわいわいするのが好き!だから、うたたねもいこうよ!って感じで誘ってくれる人が多かったかな。
その延長で大人になった今もテーマパークを楽しんでる感じかな。好きと言えばそりゃ好きなんだけど、皆と過ごす時間が好きなのかも(笑)

友達の意外な一面見たり(ソフトクリーム買った友達がはしゃぎすぎて、アイスの部分を連続三回落としたり)、友達が迷子になったり(なんかテレパシーでベンチのところ見てみたらどっしり座って待ってたり)、友達とおいかけっこしたり(子供の広場でいい年した大人が全力で混じって注意されるかと思ったが全然されなくて夢の国マジックスゲーと思ったり、でも子供にはおにごっこさせられた)、楽しいんだよね。


何でいったことがないか考えてみれば、“誰もセロリと長い時間一緒にいたくない”、もしくは、“いられない”というところだろう。
富士急もUSJいったことがないらしく、よく考えてみればそりゃそうだろうなあと。

恋人もいないし、友達は皆奴隷。そりゃ、夢の国も地獄とかすだろうし、せっかくお金を払っているのだから楽しめる人と楽しみたいもんな。

この人怪しいな?と思ったら、テーマパークやリゾート施設について聞いてみると、ひとつのボダを見抜くいいきっかけになるかもしれません(笑)

あくまで、ボダかどうか見分けるのはあなたの直感ですが、長時間いたくないセンサーが働いたらされを信じてください。
あなたの感受性はあなたを裏切りません。

あなたを裏切るのはボダだけです。

私はダメンズウォーカー(笑)

○私はダメンズウォーカー(笑)



セロリいわく、「うたたねさんはダメンズウォーカーなんで心配です」とほざき更に「悩みをなんでも相談してください、打ち明けてください」といってきたので、どうやらセロリから見たら私はダメンズウォーカーだったらしい(笑)

もう、本当に大爆笑だったし、当時の恋人にもセロリの日々の言動や行動を話していたためセロリの方がキチな生き物だとは分かりきっていたが、本当に今思い出しても笑える(笑)

私から、私の情報を聞き出すために恋人ですらダメンズになるので、本当にセロリの脳みそはパーフェクト(笑)マーベラス(笑)コスモだ(笑)

会ったこともないし、名前も教えてない、どんな人かも一言も言ってないのに、どうして恋人いない歴=人生の生き物にわかるのだろうと本気で腹を抱えて笑った。
申し訳ないけど、その時内心では私はぶちギレていたし、セロリにビンタをしたい気持ちだった。

どうしても恋愛相談をしてほしい、何か些細なことでもいいからうまくいってないのなら話を聞かせてほしいと、何回も言われたので、うまくいってないことなんか1つもないけど試しに「腹ヤバイから、痩せろって言われちゃった~へこみん~(笑)」みたいな感じで軽くいったらセロリは激怒した。
ひどい彼氏だとか、DVだとか。
そんな人はあなたを傷つけるだけだから、今すぐ別れた方がいいとまで言われた。

実はその時人生で一番太っていた時期だったので、へこんだはへこんだが確かに一理あるし、もう少し自分に厳しくしなくては!と、内心ではしょんぼり半分感謝半分だったのだ。

それに、誰よりも優しい人で、その一言で彼の魂が汚れるわけがないのを私はよく知っていた。

だから、本当に申し訳ないけども、心の底からセロリに殺意がわいた。

どうしてあったこともない人を悪くいって、私の人生がうまく行かない方向に仕向けるのだろう。
そこまでして、誰かの一番になりたいの?
誰かをこき下ろしてまで一番になりたいの?

と、本気で怒りがわいた。
しかも、恋愛のスペシャリストや、モテモテの美形でもなんでもない麻原ヘアーの根暗顔ボダにだ。

せめて、恋人ができてからものを言おうよと今なら笑顔で言える。
セロリは馬の糞みたいな口臭なんだし、見た目も人間より蜥蜴とか爬虫類みたいな顔なんだから、ハエとか食べてるのかな?うんことか食べてるのかな?って、思われちゃうのがいいところなんだから、恋愛マスター気取りすんのやめなよ。私からすれば、恥ずかしくて泣きそうだよ。そんなの、100㌔ごえのお相撲さんが、パリコレのモデルででたことあるよ!っていってるみたいで、死ぬほど恥ずかしいよ。本当に恋愛慣れしている人ほど、そういうので騒いだりしないんだよ、日常なんだから。と、笑顔で真剣に言える(笑)


別の男友達にも、とてもプレイボーイ気質でスポーツマンだったし、社会的にも人間的にも素敵な人がいたのでメンヘラについて、軽くトークたことがあった。

隠していてもセクシーで、遊びなれているのがにじみ出てくるような人で、そのくせ謙虚で、イケメンだといっても、いやいやwフツメンwむしろ、ブタメンwと返してくるような気さくな人だった。

簡単に言えば、ユーモア満載で異性の扱いにたけた人だった。
セロリについて、話を事実のみ伝えた。感情を混ぜずに、日々の服装や会話の途中で突然何十分も黙りコクってしまうとこなどだ。
相当なドン引き具合だったし、女にも寄生するのかあ、といった具合だった。
やはり彼も似たようなボダに絡まれたことがあるらしく、その時の対応を聞いた。

「深夜や朝方にメールが一通来た段階でオオウソこいて、ブロックした。今仕事忙しいとか嘘はなんでもいいから、まず深入りしない段階で二人きりにならない段階でさよなら(笑)」と言われて、この人は大丈夫だ、と安心した。
「恋人同士でも毎日深夜にメールや電話はしないでしょ。俺もうたたねも相手が寝てる時間に、わざとメールしないでしょ?長い付き合いほど親しき仲にも礼儀ありでしょ」と言われて大変納得した。

「罪悪感何て感じないさ!そしたら思うつぼじゃん!一通でも、深夜メールや長文メールきた段階で即シャットアウト。間接的に同行をうかがってくるときもあるから、共通の知人には根回ししたり、真実を話してさよなら。まともなこは実はたくさんいる」ともいっていたかな。遊びなれている人ほど、退散が早いのだと心底感心した。


周りにリア充や恋愛大好きっ子や、人間自体が好きな子が多かったので、実は結構セロリの事を知らない人でも話をふれば、笑い飛ばしてもらえたり、適切なアドバイスをしてもらえることが多かったので本当に私は運が良かったのだと思う。
もし、完全に孤立していたり、周囲を信頼できていなければ私はセロリと同居させられていたかもしれないのだから。後半のセロリは私と同居して家賃を少しでも安く浮かそうと鬼の形相であの手この手で必死でしたからね。そう思うと本当にボダって、気味が悪いなと思います。

セロリは、SNSでなんとか私を孤立させようと奮闘していたが、生憎SNS以外の人間関係に恵まれていたので私は立ち直りも早くすんだのだろうなあ。
本当に周りの人間にも感謝だ。


だが、セロリのいうことは、あながち間違ってないのかもしれない。
セロリと言う名の汚物に何年か接触し続けて時間を無駄にしてしまったので、案外間違ってないのかもしれない(笑)

元ボダウォーカーだね(笑)

おかげで、私も“この人、人格障害ぽいなあ”“なんか嫌な予感がする”と言う人に遭遇して、一通でも深夜にメールがきたり、不審な点があれば即ブロックするようになりました。

本当に日々が平穏です(笑)

有り難いことです。

セロリのいない日常って、こんなに綺麗で優しくて暖かいものだったんだね。

セロリ、私の世界から消え失せてくれてありがとう。

セロリがいないこの世界に一生感謝し続けるよ(笑)

母が私にしてくれたこと

○母が私にしてくれたこ


セロリのことをかけばかくほど、母について思い出すことが増えていく。
それもそのはずで、考え方や話し方、表情がよく似ていたから連想するなという方が無理がある。

小学生に成り立ての頃、母が運転する車から突然引きずり出されて、ドアにしがみついたがそれでも大人の力だったので呆気なく車外に出され、そのまま「燃えるごみの日だから!ここに!捨ててくね!じゃあね!バイバイ!」とやられたのを思い出した。


母からすれば教育なのかもしれない。

だが、大人になった今だから言えるが、まだ小学生の子供を遠い知らない町に置き去りにして平然としてられるだろうか。まともな人間ならできない。

その日は父が休みだったのか、探して迎えに来てくれ数時間後に帰還できたが、今でも疑問だ。

なぜ母がいきなりそんなことをしたのか、どうして全力で降りたくないといっている子供をゴミ捨て場におきざりにしたのか?

迷子になってのたれじんだり、何らかの事件に巻き込まれたりすれば、自分が直接殺したことにはならないから、意地でも手を汚さずに処分したかったのだろうな、と。

理由がなんであれこの奇怪な行動も今なら“ボダ”だから、で片付けられるが、その辺りから私の中の母にたいしてのイメージは“人の形をした何か”となっていった。

父も父で何も言わないし、“なぜこうなったのか?”を聞いても父は「誰も悪くない」と、言い聞かせるように言うだけだった。
まるで、自分さえよければそれでいいとでもいうような顔だった。
それでも、父が来なければ私は知らない町で知らない人に拐われていたかもしれないし、長期間保護されなかったら物理的に飢えて死んでたかもしれないし、とにかく良いことはなかっただろう。

母と1つ屋根の下で暮らさなければならないのであれば、あの時死んだ方がまだましだったのかもしれないが(笑)

だから、選べる今は絶対にあの家の生き物とは接触しない。

電車の乗りかたも余り分かっていない年齢なのに、電車で何十分の離れた場所に置き去りというのは、本当に賢くないやり方だ。

母に「産むつもりなかった」と、何度もガチのトーンで言われた私だが、それに対して「じゃあなんで産んだの?」と聞けば「こうして、娘は私をいじめるのよ!何年も前のことをまだネチネチと持ち出しては、私を傷つけるようなことばかりいうのよ!もうすぎたことなのに!」と、親戚や近所に触れ回る始末。
簡単に言えば、親戚のおばちゃんも、母と接触し続けたあとはめちゃくちゃ可愛がってくれていたのに、別人のように豹変してしまうほどだった。
「あら~美人になったのね~あがっていきなさい、ゆっくりしていってね~」と会うたびに冗談で言ってくれていた人も、「あんたみたいな親不孝はとっととかえれ。長居すんじゃない。バカみたいなつらしてんじゃないよ」といった具合だ。

私はメンタルが強いので、冷静に受け止められたが、痴呆の可能性もあるしあまり接触しないようにすればよいか、とだけ判断したが、なぜか母が異常にニコニコしていたのを思い出した。
普通は、自分の娘がけなされていたら助け船を出したり、相手を諭したり嗜めたり何かしらするだろう。
だが、子供みたいにひたすらニコニコしていて、親戚のおばちゃんが私を罵るのを楽しそうに眺めているだけだった。

この顔がセロリによく似ていた。

別の記事を書いている途中、双子のようにすごく似ていて同じ顔で再現されたのだ。

セロリも、第三者がいるときにセロリの親友のことを本人の前で「お前はここがダメなんだ」「これだからお前はガキなんだ」とか言っていた。突っ込みと区別するのが難しいが、よく頭もはたいていた。
私は半々で二人のフォローをしていたが、基本的にセロリは、私がセロリに同意するときにものすごい子供のような笑顔だったのを思いだした。

そもそも、自分の親友を人前でけなす心理がわからないので、同意できるところは同意し、できない場所はしなかっただけだが、セロリの親友とセロリと私とで三人で遊んだときに、セロリが一度も親友のフォローをしなかったのを思いだした。

母が私に残してくれたものは、何がなんでも境界性からは逃げなさい という命よりも大切な教訓だったように思う。

お袋の味なんて1つも知らない私だが、境界性をかぎ分ける嗅覚をくれたことは死ぬほど感謝している。

多分、セロリの親友はセロリが異常者であることに気がつけていない。
今はもう関係もないので忠告のしようもないが、知らないままで巻き込まれ続けることほど過酷で残酷なこともないと思うのだ。
さすがに何年も前のことなので、洗脳も溶けて平和に距離をおけていると思いたいが。

セロリは今もこうして周囲をうまく利用して、タゲをさらに苦しめているのだろう。
私はセロリと初対面であったときから本能的に“深くかかわってはいけない”と思ったし、徐々に“二人以上でも会わない方がいい”も感じていた。
漠然と、カンのようなものなので説明がしづらいが、なぜかセロリとは大人数では会わない方が身のためだと感じていた。
それなのに、セロリはしょっちゅう「私の仲間に会ってください」「コミュニティーの皆はうたたねさんに会えるのを待ってくれているんですよ」と、会うたびに毎回言っていた。
私は心底執念深い生き物だと距離を引いていたし、断っても断っても誘ってくるので本当に脳みそが腐っているのではないか?と、悩んだ時期もあった。
そのコミュニティーに、すごく美人な女性がいたのだが、その人の彼氏の性格と年収職業、好きなブランドや歌手、出没地域、付き合って何年なのか結婚前提なのか、精神疾患やナイーブな話、などなどを毎回自慢げに話していたので、私の情報がそのコミュニティーにだだもれなのは想像がついたし、極力情報をもらさないようにはしていたが、そんなセロリの手あかのつきまくった集団とは一秒だっていたくないというのが素直な気持ちだった。
他にその美人な女性意外にも、別の男性の情報も色々話していたので、時間の無駄だと思い全て断り続けた。

山登りに誘われたときは流石に大爆笑したが(笑)
なんで、はじめて会うやつらと山登りなんだよ?ガイキチなのか?ってね(笑)
それぞれ体力に差があるだろうし、何の脈絡もなしに山登りだったので、本当に驚いた。

ゴキホイ自体は、山登りなんかとは全く無関係のSNSだし、セロリがいたコミュニティーはどちらかといえば陰キャばかりなイメージのコミュニティーだったので、心底驚いた。陰キャというのもあれだが、明らかにガリガリで体力もなさそうで散歩程度でへばってしまいそうな人たちばかりだったので、まず基礎体力から見直せばいいのになあと、他人事ながらに思った。

よく山登りにいったはいいが途中で脱落者が出たり、予定が狂ったりと言う話は私の周りだけでなくちらほら聞く。友達が、職場の女の子がひ弱すぎて途中で動けなくなったとか言ってたのを聞いて、友情にヒビが入らなきゃいいな(笑)と思ったし、おぶってやれや(笑)とかも思った。そもそも、一番低い体力の人にあわせたスケジューリングにしてやれと言ったのも思い出した。

登山って確かに色々あって、軽いハイキングから本格的に装備が必須なものまで一言ではくくれないかもしれない。
けど、そもそも初参加の私を誘うにはハードルが高すぎるのでは?と、本当に笑ってしまった。
明らかにボーリングとかバーベキューとか、ビアガーデンとかさ、もっとお気軽にお互いを知るいい場所というものがあると私は思った。そういう集まりならまだましも、無関係のはじめての人を一人だけ招くには、聞いたことない方法だなと。

なので、この時点でセロリに決定権はないコミュニティーなんだな、とはうっすら予測がついた。
それでも、洗脳し始めなのかもしれないし、私がそのコミュニティーに参加することによりセロリのボダスイッチが入る可能性があったので、完全にお断りスタイルを貫き続けた。


おそらく、このコミュニティーの人間は境界性を知らないか、セロリが本気を出していないだけ(笑)なのだと思う。
最近ゴキホイを見たらセロリが、そのコミュニティーの誰とも接触していなかったので解散した可能性もあるが、誰かがセロリの本性に気がついた可能性もある。

何にしても、私は極めて初期にセロリが“関わっちゃダメなやつ”と見抜けて本当に良かった。
コミュニティーの人間には、もっと大変な傷をおった人もいたかもしれないのだから。もとから、あまり精神状態のよくない人々の集まりだとセロリ自信も言っていた。
そういう人間達には、想像を絶する甚大な被害を被る場合もある。

ゴキホイをやめたくなくて、セロリの機嫌を損ねないように、悪評をばらまかれないように、と尽力した私が本当にバカらしく思える。
辞めた今の方が、周りの人間にも恵まれているし、精神に相当なゆとりができた。
もっと早くに早くゴキホイを捨てていればよかった。

誰ともからまずに一人でまだゴキホイを続けているセロリを前に一度見たが、境界性は遅かれ早かれ孤立するのだなあと。

母も若いうちはまだつるむ人間がいたが、今では行きつけの店に“お一人様お断り”という、張り紙まで張られる始末。
年と共に確実に孤立する生き物、それが境界性だ。

境界性の真実を教えてくれた母には、死ぬまで感謝だ。

セロリの反戦意識

○セロリの反戦意識


私は映画館ではあまり、邦画は見ない。
スケール的にも大画面でなくても十分楽しめるように作られていると感じるし、邦画や日本アニメは家でくつろぎながら何度も見た方が発見があるので、邦画は断然家派なのだ。

簡単に言うと私は
洋画=劇場
邦画=家派ということだ。

セロリと食事をしているときに、映画を見に行こうとなったのだがその時にちょうど「風立ちぬ」がやっていた。
私はそもそも邦画はあまり見ないし、劇場にいくほどでもないなと思ったので、「いけたらいくか」程度にしか思わなかった。
というか、その頃はもうセロリの本性が出まくっていたので、あまり関わりたくなかった。
ただでさえ、暗い顔で過去の暗い話を続けるので、映画くらいは底抜けに明るいものを見たかったのもある。

だから、正直に「戦争ものはテンション下がるからやだ」といったのだが、これにセロリは完全にぶちギレた。

「過去の過ちを繰り返さないためにも、見なくてはならないんですよ!忘れてはならないんです!」
「日本の文化なんだから目を背けてはいけないと思います‼日本人のサダメなんですよ!」
「なんとしてでも見なければならないんです!うたたねさんは現実から逃げているんですよ!もっと向き合ってください」
とか、人格否定か?と思えることまで言われたし、帰りの改札でも言われたし、その後のメールでも言われたレベルだ。
それこそ、別人のごとく豹変して激昂してきたので、食事している場所が個室で本当によかったと思った。

あの頃は、確かにそれも一理あるとは思ったものの最近のジブリに魅力と勢いを感じなくなったせいもあり、やはり結果としてセロリと映画にいくことはなかった。

戦争を繰り返してはいけない気持ちは勿論わかるが、それを強要するから戦争が始まるんだろうに。
なんて、酷く冷めた気持ちになったのも事実だ。
こんなことで、ぶちギレるような人とは何しても楽しめないし、戦争がダメだと豪語するならばまず、周囲の人間をこき下ろしたり、悪評を吹聴したり、虐待話を自慢げに語るのをやめるだけでも日本は平和になるでしょうね。
少なくともセロリの顔を2度と見ずにすんでいる今は、私の心は死ぬほど平和です(笑)


映画にいかなかったのはセロリがなぜか、「洋画だと字幕が見れない」といっていたのもある。
おそらく、眼鏡を私にかってほしかったのだろうが、近眼らしく遠くのものがよく見えないらしい。
私は視力が0.001くらいしかなく、ほぼ裸眼では外出できない身なのですぐにセロリがウソを付いているのだとわかった。
眼鏡かコンタクトなしでは歩けない怖さを知っているので、そこまでして眼鏡ほしいか?てめえでかえよ、と思ったのもある。

最前列でも文字が見えないと言っていたので、もしかすると映画館にいったことのない可能性もあるが(笑)
驚いて「日常生活どうしてるの?信号とか、電車の案内とか。いつも裸眼だし薄型のコンタクトなの?」と聞けば「あー、あれは見えるんですよ。コンタクトも眼鏡もしませんね」と言っていた。

距離にもよるのだろうが、電車の広告やカラオケで表示される文字も読めていたのでセロリは救いようなない生き物だ。
街中でやっていた展覧会の展示品や作品に付いている細かい文字の文章もはっきりと見えていたのを覚えている。

眼鏡を買う金がないとかいっていたが、弱視や近眼の人にとってはかなり命取りになるので、もしそれが本当ならば回りにも迷惑をかけているのだろうな、と映画について話しただけでも思ったのだ。
0.01以下の人はわかると思うが、裸眼だと足元もろくに見えないし、向こう側の信号も色がなければ絶対見えないだろう。ちょっとした段差でも躓くし、ほぼほぼ色か音で判断するしかないと思う。

映画の文字が見れないなら普段からなんかしらの視力を補助する道具がないとおかしい、と言おうと思ったが呆れてものも言えなかった。ぶちギレられたりしたら、たまったものでもないと思ったし、適当に勢いで論破したつもりになられてもこちらのストレスがたまるので。

風立ちぬが見たいならみたいと言えばいいのに、「洋画だと文字が見えない」といって、ひたすら自分がみたい作品しか見ようとしないセロリは本当に子供のようで愛想がつきた。
ましてや、自分がみたいから相手も見たいはず、見なければおかしい、日本人の義務だ!とまで言い切る。
これで自分がみたい作品ならば洋画でも字幕が見えるような都合のいい目になるんだろうなあ。
ジブリもそんなに見なければ、と思って作ってないだろうよ。確かにキャッチコピーは“生きねば”だった気もしなくもないが、“見ねば”ってほどでもないだろうよ。
ジブリってやっぱり家でマッタリ見るのが良いと思う。哲学的要素や、宗教、時代、文科、キャラクターの個性やポジション、メタファーなど、何度も見て読み解いたり、見る年代によって発見が違ったり、自分の年齢によっても感じ方がかわってくるからこそ魅力的なんだと思うし。
一度映画館で見て、皆がみてるから見た、ってしてしまうのはとても惜しいと思う。最近は勢いがないとは言ったけれど、その分深みと苦味に特化したって言えばいいのかな。ジブリは嫌いじゃないけど、もののけ姫ならスクリーンで見たいなあ(笑)


かいていて思い出したが、セロリはこの頃になると息をするように自然にウソをつくようになっていた。

よく、「電車詳しいので乗り換えとかなんでも答えられます。何でも聞いてください」と言っていたので、聞いたことがあった。
セロリと遊んだ駅が行ったことがない場所だったので帰り際、「この路線なら○○駅にいけるかな?」ときいたらあっさり「いけますよ」と言われたので、いつも自信満々に言っていたのもあり信用した。
そしたら、当たり前のようにつかなくて、一度降りて駅員さんに聞けば「別の路線ですね、切符は買い直しです」と言われたので、時間とお金をドブに捨てた。
最初に乗る前に確認すればよかったのだが、改札前で別れるのにそのあと駅員さんに聞くのもセロリの前だと失礼になるだろうなと思ってやらなかったのだが、何よりもどの路線も全部暗記している。とまで毎回言っていたので信じきっていた私が悪かったのだと思い、それからはことごとくセロリの言動一つ一つを信じなくなりました(笑)

本当に過言ではなく、セロリがいない今の私の生活は平和そのものです。
反戦意識がなんだろうが、日頃突然激昂する人間が口にしていい発言ではないでしょうね。
日頃の行いって本当に大事ですね。

セロリのいない今の日々に本当に感謝です(笑)

虐待されていた(らしい)セロリ

〇虐待されていた(らしい)セロリ



初めて会った日に 虐待されていた と唐突に告白してきたセロリ。

今思えば完全にうんこですが、これ、どう思いますか?

本当に虐待されていたなら、死にたいって簡単に出てこないと思うんですよね。

むしろ、あらゆる手段を使っても生き延びたい と思うはずなんですよね。


放置されて食べ物がなかったら飢えて死にます。
激しい折檻が続けば子供はあっけなく死にます。
罵声や怒声を享受していたら鬱となり死にます。


家族ですら自分のことを大事にしてくれなかったのなら自分は一番大切にしなくては と思うはずなんですよね。

1日1日を危機的状況に身を置いて生きてきたなら、命の尊さを知っているはずなので簡単に自殺ゲームなんかできないんですよね。

セロリは父親に暴力を振るわれたと会うたび必ず言っていました。
うつむいてわざと顔をみえないように隠して、床の一点だけを見つめてボソボソと低い声で話し続ける。
何十分もひたすらに。

今なら「うんこ?」って聞き返します。

「なぁ、なんでうんこが人間の言葉話してるんだよ。うんこ共和国では日本語を教えてくれるのかよ?」って聞き返しますが、当時の私はそれは大変だったねと思いました。

まだゴキホイを利用するつもりだったし、悪評をバラまかれたらたまったものではないと考えていたからです。

私自身が酷い環境で育っているのでつい感情移入してしまったせいもあります。
決して甘やかしたりはしていませんが、少なくとも半分冷静に半分共感しながら話をしていました。

でも私は一度も死にたいと思ったことはないし、過去のことで同情を引こうと思ったことはありません。
これからもありません。
ありえません。

それに、本当に虐待されていたからといって
その対象者に優しくしなければならない法律なんかないですよね。

父親がすごく暴力的だったらしくて、ろくにコミュニケーションもとってくれなかったようで、そのせいで私は人間不信になって友達もろくにできなかっただとか。

もう誰も信じられない、姉貴も暴力的だし私は家を出るしかなかったんだとか。この世で一番不幸かもしれない、誰も助けてくれなかっただとか、父親さえ母親と離婚していたならこうはならなかっただとか。

そういう父親が身近にいても成功したり、一生懸命努力している友達もいたので、私は簡単には騙されませんでしたが、悟られぬように半分共感して半分疑いつつ話をしていました。

しょっちゅうあばらが折れたり、血が出るほど殴られていたらしいですが、それなら絶対周囲も気が付くし、多分担任の先生や近所の人間も通報するレベルだと思うんですよね。顔が変形するほど殴られたとかも言っていましたね。

それに、セロリには姉と弟がいたらしいので3対1ならなんとか逃げられたりある程度大きくなれば対策も練れると思うんですよね。

実際私の母親も暴力的でしたが、私が成長するにつれて肉体的暴力は減っていきましたし、そのタイミングがわかるようになったのでなるべく家にいる時間を減らしたりと対策も練れたんですよ。
でも、歯止めが利かなくなってしまったんでしょうね。
セロリの中で“架空のおとぎ話”が、自分でも何を話したか残念な記憶力なので覚えていられないから、大きく大きく話を盛ってしまえって感じでしょうか。
話の内容が重ければ重いほど、同情を引けますからね。

聴く側からすれば、その虐待話は果たして本当なのだろうか。暴力が具体的に生々しく語られれば語られるほど疑問に思えてしまうんですよ。

それを話すだけでも辛いはずだし、セロリは虐待話の時に涙一つ流したことはありませんでした。
感受性の問題と言われればそれまでですが、そんなヘヴィーな話題は無表情では語れないと思うんですよね。

まぁ泣けばいいって問題でもないんだけど(笑)。
特に境界性に対しては、泣こうが喚こうがひたすらスルーが最善なんですが。

少なくとも当時の半信半疑の私でも、セロリの話の内容は違和感満載で、ツッコミたい衝動を膨らませるものばかりだったんですよね。

今まで不幸だったから、これからは貴方が幸せにしてよって遠回しに言われても、何の責任も関連性もないですよね。

むしろ脈絡がなさ過ぎてびっくりしますよね(笑)。
いや、お前の人生に何で俺を絡めてるんだよって(笑)。
かつ丼に卵カラメルみたいなノリで言ってくれちゃってるけど、言われるこっちはドン引きだからね。まさにかつ丼だけに!
それ言ってお前は気持ちいいかもしんねえけど、聴く側は非常識すぎる態度に飽きれてるんだよ。
そして唖然としていると「論破できた、コイツは頭がよくない=奴隷決定」ってなるんですよね。

でもセロリは私が それは違うんじゃない? と何度言っても聴きはしませんでした。

虐待されていたとして、それを何年間も引きずるのはよくないし、生活に支障が出るほどなら専門家に話した方がいいのでは?
私も内心では引きずってしまったから気持ちはわかるけど、周りの人間に相談して時間を奪ったりしたことはないし、むしろ必死に隠そうとしたよ。
私が聴いてそれで少しでも楽になるならそれもいいかって思うけど、毎回同じ話を聴くほど私も仏ではないよ。
と言っても、なぜか次合う時には忘れているんですよね。

あと私が今まであった生物ではセロリ(と私の母親もか(笑))だけなんですが、基本的に私が話終わる前に言葉をかぶせてきました。
私が話そうとすると、マシンガンのように長々と私が発言をやめるまでずっと話していました。

普通発言がかぶったら
「あ」
ってお互いなって
「どうぞ」
「いや、そちらこそどうぞ」
ってなりますよね。
突然始まるドリフのようなアレ(笑)。

けどセロリは何が何でも自分の発言を遮られるのも許しはしなかったし、相手の意見も聴きはしませんでした。
それがずっと毎回そうでしたね。

怒っている時はこちらが折れるまで席を立とうとしないし、声も低くなり攻撃的な口調になっていましたね。
いつ息継ぎをしているのかわからないような早口で、周りの無関係の人間はドン引きでした。

かいている間に思い出したのですが私はカラオケが好きなんですよ。
小学生の時に友達に連れて行ってもらってハマり、それから中学生では別のクラスの友達とも毎日のように行ってたんですよね。

それで高校ではクラスの全員と行ってみたいと思い、陰キャから体育会系、ギャルからヲタクと色んなタイプの人間と言ってたんですよ。楽しいから。
もうテストが終わればカラオケ。休みの日にはカラオケ。おめでたい日にはカラオケ。特に意味もなくカラオケって感じで。
まぁ要は色んな人間とカラオケにいったことがあるというだけなんです。

それでセロリとカラオケに行ったんですけど、セロリは誰もしなかったことをしたんですよ。

私が歌っている時に大体セロリは“足を組んで腕を組んでつまらなさそうにしている”んですよね。

知っている曲ならまだいいけど、知らない曲だと完全に早く終われオーラを出すんですよね。
明らかに何かに対していらだっている人、って感じで話しかけるのにも気を遣うような。

今まで何十人と歌ってきましたが、これをした人間は一人もいなかったんですよ。
今文字にしてみたら、かなり偉そうで正直顔も見たくないですね。そんなうんこがいるだなんて信じられないですね。うんこだから仕方ないですね。

今までの友達に感謝しましたが、セロリってすごいなあと。
普通友達とのカラオケでこういうことします?

でも時々不意打ちのように、ものすごいべた褒めするんですよ。
「うたたねさんの歌は神がかっていて全てを包む慈愛であふれているんですよ!感動です!世界中に聴かせたいです!」
「もう、神業ですよ!そこらの歌手なんか比べ物にならないほど美声です!癒し効果が尋常じゃないんです!」
とか言うのに、その数時間後には
「最後のサビの前のとこ下手でしたね。音はずしましたね」
「息が続いていませんでしたからミスですか?あれくらい私でもできますよ」
とか言うので、 この生き物は狂っている とちょくちょく思っていましたね。

今まで生きてきて友達のカラオケでも職場の二次会でも、ダメだしする人間って一人もいなかったので、もう二度といくかって思いましたね。
基本的にカラオケってその場の雰囲気楽しんだり、知らない歌聴かせたもらったりだから、評価したりけなしたりする人って見たことなかったんですよね。

大人数で行くと苦手な奴もいるけど、それもコミで楽しいっていうか、意外に好きになったりするしね。
だって、一緒にうたったり踊ったりを楽しむ場所でしょ。
タンバリンとかマラカスシャッシャ!でワアアアイ!でしょ?

セロリに対しては、どこのお偉いさんだよって思うし、お金払って歌ってるんだからその分楽しまなきゃ損でしょ(笑)。

セロリが精神不安定なのはその頃からだいぶわかってきてはいたものの、子供みたいにニコニコしていたかと思えば、ずっと足を組んで腕も組んで険しい顔していきなり無言になったり。

カラオケの狭い密室でやられるとこっちの精神が参りそうでしたね。

何かに対して怒っている時は大抵こっちを見ないし、3歳くらいの子供みたいでずっと機嫌がよくなるまで話しかけたりセロリが喜びそうな話題を振り続けなければならないので本当に疲れました。

街を歩いている時に母と子をよく見るのですが、母元から5歳児くらいが走ってどっかに行きそうなのを昨日見たんですよ。

子供がどこかに行きたいみたいで、母親は困っていて何回か注意しても走り出そうとするんですよ。
どこかっていうのがよくわからないみたいで、どこいくの?と聞いても子供は答えずにキッズダッシュするんですよね。子供特有の謎のダッシュあるよね(笑)。かわいいんだけど、危ないから目が離せなくて大変なんだろうなと思いながら見ていたんですよ。

「じゃぁ、もう好きにしなさい。ママはもう帰るからね。聞き分けのない子はもう知りません」
っていえば「やだぁぁぁぁうわわああああ」って泣きわめいてすぐ母親のもとに戻ってくるんですよ。

まさにコレだなと。

セロリの行動はまさにアレでしたね。
子供なら微笑ましいいし、将来性のある一過性のものだろうと安心ゆえに楽観視もでき、甚大な被害にはならないけれど、20も過ぎた大の大人がこれをやっているのだと考えると本当に心底ゾッとしますね。

こういう一つ一つの動きに人間性が出るんですね。うん、この場合はうんこ性ですね(笑)。うん、こういう生き物だから仕方ない。うんこだもの。

○母と正直な気持ち

○母と正直な気持ち


母の日にカーネーションを送るのもいいけれど、私は母に“憎しみのない世界”を贈りたい





一番最初に貴方を愛してくれた人は誰でしたか?


生まれたときに一番最初に笑顔をくれた人は誰でしたか?


貴方がこの世界で一番なくしてはならないと思えるのは誰でしたか?



母の世界には母しかいない。


そこには、愛も憎しみですら存在しない世界なのかもしれない。

私の目が開かない内は、それでよかった。
でも今は、すべての感覚が研ぎ澄まされている。
愛も憎しみも、そんなにかわりがないのね。




母に“憎しみのない世界”を贈ったとしても、母はその世界に触れることすらできない。

完全に“自己”しか存在しえないからだ。

そこは、愛も憎しみも存在すら赦されず、永遠に孤独を味わい続けるさながら生き地獄だ。

己以外の魂を弄んだ代償として、釣り合いがとれているかは私には分からない。

愛した人の温度も、愛してくれた人の歌声もそこにはない。

それだけの世界で、永遠に生き続ける。

どれだけ水を注いでも、ひび割れたグラスでは満たされることはない。

現段階の人類では、新しくグラスを作り直すことしかできない。

その方が確実でコスパがよい。



神様、もしいるのなら。

全ての人格障害が、本当の意味で愛に満ち足りた世界に生まれてくることはできないのでしょうか。

愛を奪い合う世界ではなく、与えあう世界を作り直すことはもうできませんか。


いなくても構いません。

神様、決して交わることのない両者をなぜこの舞台に配置したのですか?

必要悪であるならば、それは誰の視点ですか?




カーネーションは、いつか枯れます。
さらさらと、砂になります。
確かに約束された終わりがそこにあるから、美しかったのでしょう。


私はかれない。

醜くても構わない。

美しくなくていい。

捨て身の覚悟だ。


人類の愛とは比較にならない無償の愛を受けとることのできなかった私の覚悟だ。

数ではなく、質の愛を与えられなかった私の意思だ。

この世で最も尊く、純粋な愛を母からもらえなかったからこそ、母に与えたいと思った私の覚悟だ。


例え全人類が私を憎んでも、私は私を愛そう。

それが、私を愛することができなかった母との約束だ。



唯一の約束だ。

逃げちゃダメか?

○逃げちゃダメか?


逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメという、名台詞があるように、どうもこの国は“忍耐は美徳だ”と、強いられる風潮があるように思える。


確かに時と場合により、この考え方は必要だとは思う。

だが、相手が人格障害であるならば「逃げなきゃダメだ」と思うのだ。


恐らく、人の数だけ人格障害からの被害のパターンがあるだろう。

物理的に離れられない、精神的に洗脳され自我が潰され切っているなど。
それぞれだとは思うが、まず逃げてもいいのだと、自分を説得してみてほしい。

自分自身に、選択肢を与えてみてほしい。


私は母の葬式に出ることは絶対にない。
例え、70億が私にそれを強要しても絶対に葬式に参列することはない。

私の魂は私だけのものだからだ。

例え物理的に拘束され、式に参加させられたとしても、母を忍ぶことはないし、思い出すこともない。

昔は、母が家に帰ってこなかった数年間は私のせいだと思っていたし、その溝を埋めなければとも考えていた。

だが、少し考えても見てほしい。

どんな理由があったとしても、一度家族を捨てた者が何食わぬ顔で「もう稼げるようになったよね」と飄々と帰ってきていいはずがない。

それでも私は、家族の絆を取り戻さなければと無意味に必死だった。若すぎたのだ。

今の私であれば、ご飯も作らず家事も掃除もせず、気まぐれに怒鳴り散らし子供のように暴れまくる母を命あるものとして扱わなければならない理由はどこにもないと、諭すだろう。
当時の私自身に向けて、「全力で逃げなさい」と説得するだろう。
そんな生き物との絆を構築するよりも、貴方があなたらしく笑える世界にいきなさい。と言うだろう。

そして、後ろめたく感じる必要などないのだと。

逃げてもいいのだと。





それぞれとはいったが、それゆえに正解などない。
貴方が決めることだからだ。

結婚して子供がてきてからその本性を表すものもいるだろう。


完全に逃げ道を塞ぎきったあとに貴方の心を殺そうとするものもいるだろう。


だからこそ、貴方だけは貴方の味方になってあげてください。

世界の全てが貴方を突き放しているように感じたからこそ、貴方だけは貴方の側に寄り添ってあげてください。

逃げることは甘えではありません。

逃げることは甘えでも何でもありません。


逃げることはいきることです。

人格障害と関与している場合のみですが(笑)

逆にどうあがいても逃げ切れないものは自分自身なんですよ。
どこまでいっても、切り離せないのは生きようとする人間の意思と自我です。

ならば、いっそ堂々と生き延びるために背を向けるのは時として素晴らしく潔く、だからこそ美しいと思うのです。

私もかつては、いけないことをしているような謎の罪悪感に苛まれていました。
ですが、ほんの少し視点を変えてみてください。

斜め上からじーっと見るでもよし、一歩引いてローアングルからチラッと見るでもよし。

きっと、全く別の貴方が見えてくるはずです。

私は逃げだした私を誇りに思っています。


母やセロリを振り返らずに走る私を全力で肯定しています。

罪悪感を感じるならば、それも追い付けない早さで走ってしまえばいいんですよ。

逃げていいんですよ。

貴方自信が貴方と向き合うことをやめさえしなければ、貴方は他の者から逃げてもいいのですよ。

だってそうでしょう?
逃げるってことは生き続ける覚悟をしたということなのだから。

命の限りに走り続けると誓ったからこそ、そこから脱出できたのだから。

全ての責任を自分でしょいこんだからこそ、後ろ指差されても気になどならないのでしょう。

私は、死んだように生かされ続けるよりも、死を受け入れ死と共に生きている今の方がよほど楽です。

本当の地獄は、意思を剥奪されそれでもなお生かされ続けることなのだと私は思います。


本の少し、楽になってもいいんですよ。

そのうち、風潮が変わって「逃げ切ったお前かっこいいじゃん!」って、世界の方が貴方に拍手を送りますから。

ほんの少し先の未来に、歩き出すってだけです。

今から逃げるのではなく、未来に走り出すってだけです。


だって、世間体や世論は貴方を守ってくれないでしょ?

世間の目が冷ややかだからこそ、貴方は貴方の背中をそっと押してあげなくちゃ(笑)

貴方をいじめる人格障害から、逃げてもいいんですよ。